壁時計が止まる部屋で

──平成0x29A年03月06日 18:20

第5遺伝子ネットワーク保守センターの地下三階、午後六時過ぎ。俺は今日も薄暗い機械室で、古いブラウン管テレビの前に座っていた。

画面には緑色の文字列が流れている。皇室遺伝子の分散ネットワーク、その微細な接続状態を監視するための端末だ。平成初期のワープロみたいな画面だが、これが一番安定して動く。新しいARインターフェースは派手だけど、すぐにクラッシュする。

壁にかかったアナログ時計は六時二十分を指したまま止まっている。三日前から動いていない。電池を替えればいいだけなんだが、なんとなく放置している。時間なら端末にも出るし、困らない。

「徹さん、そろそろ定期報告の時間ですよ」

スマートグラスの端に、AI秘書の通知が浮かぶ。標準型の業務用で、声も顔もない。ただ淡々と予定を告げるだけ。

「ああ、わかってる」

俺は端末から目を離さず答える。本当なら、ここで母さんのエージェントが「ちゃんと報告書、誤字ないか見直しなさいよ」と小言を言ってくるはずだった。でも今は、このAI秘書しかいない。

母さんのエージェントは二週間前から倫理検査に入っている。記憶補助モジュールの更新が滞っていて、最近は変な発言が増えていた。「あんた、まだ小学生だったわね」とか、「お父さん、今日は遅いの?」とか。父さんはもう二十年前に死んでいる。

更新不備。よくあることだ。エージェントは定期的にメンテナンスが必要で、その間は標準型に置き換わる。二週間もすれば戻ってくる。

俺は報告書を開く。今日の遺伝子ネットワークは安定している。異常なし。書くことは何もない。

ふと、ブラウン管の画面が一瞬だけ乱れた。ノイズが走る。すぐに元に戻る。気のせいかもしれない。

「徹さん、報告書の提出期限まであと十五分です」

AI秘書が再び告げる。無機質で、正確で、何も感じない声。

「わかってるって」

俺は適当に文字を打ち込む。「異常なし」「次回点検予定日」「担当者名」。いつもと同じ。

壁時計はまだ六時二十分を指している。針が動かない。時間が止まったまま。

そういえば、母さんのエージェントが最後に言ったのは何だったか。

「あんた、ちゃんと時計、直しときなさいよ」

そんなことだった気がする。

俺は立ち上がって、壁時計の前に立つ。裏蓋を開けて、電池を取り出す。単三電池。まだ残量はあるはずだが、念のため新しいのに替える。

カチッと音がして、秒針が動き出す。六時二十一分。

「報告書、提出しました」

AI秘書が告げる。俺が何もしなくても、自動で送信される設定になっていた。

「ああ」

俺は時計を見上げたまま、小さく息を吐く。

母さんのエージェントは、二週間後に戻ってくる。たぶん、また元通りに小言を言ってくる。それでいい。

ブラウン管の画面は、相変わらず緑色の文字を流し続けている。遺伝子ネットワークは、今日も静かに脈打っている。

俺はまた椅子に座り、画面を見つめる。時計の秒針だけが、規則正しく時を刻んでいた。