シンクロするレガシー
──平成0x29A年04月19日 08:30
平成0x29A年04月19日 08:30。
スーパー「スマイルマート」のバックヤードは、生鮮食品の匂いと、どこか埃っぽい機械の熱気が混じり合っていた。
俺、藤井陸は、ディスプレイが点滅し続ける省人化レジの保守端末を睨んでいた。「またこれかよ……」
『陸、焦るな。慌てて触ると余計に拗れるぞ』
耳元で、祖父のエージェント、誠一の声がした。誠一は画面の奥で、少し霞がかったホログラムとして俺の横に立っている。元電気技師だった祖父は、こういう古い機械のトラブルにやたらと詳しかった。享年72、老衰。
「だって、このままじゃ顧客の行動履歴が全部消えちまう。午前中のセールを狙って入ってきた客の位置情報ビーコンも全部だ」
『ふむ。党ドクトリン的には、情報損失は社会安定を揺るがす重大インシデントと見なされるだろうな』
誠一は腕を組み、いつもの癖で顎を撫でた。俺は舌打ちしたくなるのを堪える。アルゴリズムが半ば公然と解読されている今、党ドクトリンを盾にされるのは辟易する。
「差分断片はどこまで残ってる?」俺は尋ねた。
『レジ端末のローカルキャッシュには一部残っているようだが、サーバーとの再同期が全く進まない。まるで拒否されているかのようだ』
再同期トラブル。最近、あちこちで聞くようになった現象だ。党ドクトリンのアルゴリズム署名システムが劣化しているせいだと囁かれている。
ふと、バックヤードの隅にある、誰も使わない公衆電話が目に入った。埃を被った薄緑色のボディ。その横には、店長の私物らしいスーファミ本体と、黄ばんだカセットが数本積んである。店長は平成エミュを極めすぎだ。
『陸、あの公衆電話の配線と、スーファミの映像出力ケーブルを調べてみろ』
誠一が突然、荒唐無稽なことを言い出した。俺は眉をひそめる。「公衆電話?スーファミ?何の関係があるんだよ」
『昔の通信システムは、ノイズ耐性が高いアナログ回路と、原始的な同期信号で繋がっていた。省人化レジのシステム、特にビーコンとの同期部分には、意図的に古い通信プロトコルが残されている可能性が高い』
俺は半信半疑で、公衆電話の裏側を覗き込んだ。本当に古臭い配線が剥き出しになっている。スーファミのケーブルも、現代のデジタル接続とは全く異なる構造だ。
『これらの原理を応用すれば、レジ端末のローカルキャッシュと、メインサーバーの同期プロトコルの隙間を縫って、一時的に信号を安定させられるかもしれない』
誠一の声は真剣だった。元電気技師の祖父の知識が、こんなところで役立つとは。
俺は工具箱からテスターと、ジャンク品から剥ぎ取った古い通信ケーブルを取り出した。慣れない手つきで、誠一の指示通りに配線を組み替える。まるで、レガシーコードを物理的に書き換えているような感覚だった。
数分後、再び保守端末を操作する。すると、それまでエラーを吐き続けていた再同期プログラムが、ゆっくりと進み始めた。画面を流れる同期ログの数字が、少しずつ増えていく。
『やはりな。党ドクトリンのアルゴリズムも、完全に新しいものだけで構成されているわけではない。過去の遺物の中に、思わぬ抜け穴や、予備経路が隠されているものだ』
誠一は満足そうに頷いた。完全に復旧したわけではないが、大半のデータが救われた。今日のセールで失われるはずだった顧客の機嫌も、少しは保たれるだろう。
ふと、誠一のホログラムが少しだけ鮮明になったような気がした。バックヤードの蛍光灯の光を反射して、祖父の顔に微かな笑みが浮かぶ。
「ありがとう、じいちゃん」
『何を言うか。お前もやるもんだ』
俺は、目の前のトラブルが解決したこと以上に、誠一との共同作業がうまくいくことに、ささやかな温かさを感じていた。
埃っぽいバックヤードで、古い機械たちと、亡き祖父のエージェント。俺たちの間に、目には見えないけれど確かな同期が生まれている。そんな気がした。