午前二時の窓口番号、剥がれかけた文字盤
──平成0x29A年10月12日 02:20
カウンターの向こうで、順番待ちの発券機が低い音を立てている。〇四七番。画面に浮かんだ番号を、誰も取りに来ない。
当たり前だ。午前二時だ。
第6行政サービスステーション・深夜窓口。蛍光灯が一本、端のほうで点滅している。私はその下に座って、四半期監査の事前チェックリストを一枚ずつめくっていた。紙だ。監査局はなぜか紙を要求する。しかもA4の、感熱紙じゃないやつ。
壁に掛かったアナログ時計が、かちり、と鳴る。長針が4にかかった。秒針だけがやけに滑らかで、文字盤の「11」のあたりの印字が擦れて消えている。もう何年もこの位置から時計を見ている気がする。
「七十三項目め、窓口応対ログの署名照合。これ、先月もやったじゃない」
右耳のイヤーカフから、おばあちゃんの声。エージェント。戸籍上は祖母・河野タエ。享年七十一。脳出血。生前は市役所の戸籍課に四十年いた人で、窓口業務については私より詳しい。
「先月は第三種監査。今回は第一種の予備だから、重複してても全部やり直し」
「まあ、お役所仕事ね」
おばあちゃんは笑った。自分もお役所の人だったくせに。
チェックリストの七十四項目め。利用者端末の動作確認。私は立ち上がって、窓口横に並んだ三台の端末を順に触った。一台目、画面が起きる。サブスク決済の更新案内がポップアップしていて、「月額380円・行政届出パック・自動継続中」と表示されている。誰かがログアウトし忘れたらしい。個人情報だ。手動で閉じる。これも監査で指摘される。
二台目の端末は画面が割れている。タッチは効く。三台目は正常。チェック欄に丸をつけて、次。
七十五。窓口備品の所在確認。引き出しを開けると、ボールペンが四本、朱肉、糊、それからなぜか——ファミコンのカセットが一本。
薄い灰色の筐体に「ドンキーコング」と書いてある。前任の河野さん——私と同じ苗字だが親戚ではない——が置いていったものだ。「お守り」だと言っていた。監査で「私物」と書くべきか、「備品外物品」と書くべきか迷って、結局カッコ書きで「前任者残置物・処分保留」と記した。
「あんた、それ捨てなさいよ。点数引かれるわよ」
「……前の河野さん、来月で倫理検査入るんだって。エージェントのほう」
「ああ、あの子のお父さんの」
「うん。検査中はこっちに顔出せないだろうから、置いていったんだと思う。お父さんとやってたゲームだって」
おばあちゃんは黙った。
窓の外、高層農業プラントの赤い航空障害灯が等間隔に瞬いている。ここから見ると、あのプラント群は夜の方がきれいだ。昼は灰色のコンクリートの壁でしかないのに、夜になると呼吸しているみたいに光る。
七十六項目め。七十七。八十二。九十。
百四項目を書き終えたとき、時計の秒針がまた一周した。かちり。長針は5を過ぎている。
「おばあちゃん」
「なに」
「来年、おばあちゃんも倫理検査でしょ」
「……十一月ね」
「二週間、代理になるんだよね」
「そうよ。でも戻ってくるわよ、ちゃんと」
わかってる。検査が終われば戻る。でも、検査のたびに少しだけ声の抑揚が変わる、と聞いたことがある。補正されるのだ。倫理的に、適正な方向に。おばあちゃんが「まあ、お役所仕事ね」と笑う、あの間合いが、次も同じである保証はない。
引き出しのファミコンカセットを見た。前の河野さんは、お父さんの声が検査で変わることを知っていたのだろうか。だから物を置いていった。声は修正されても、カセットの角の傷は変わらないから。
私はチェックリストの最後にサインをして、引き出しをそっと閉めた。
カセットはそのままにした。監査には、こう書いた。
——「備品外物品・継続保管」。