値札の上の王冠
──平成0x29A年 日時不明
レジの足元でセンサーダストが光る。
床の目地に撒かれた灰みたいな粒が、人の足音と棚の振動を拾って、棚札の表示と私の端末の在庫を勝手にすり合わせていく。たまに、光り方が過剰に丁寧で笑ってしまう。誰も見ていないのに、誰かに見せるための正確さだ。
うちの店は、平成のままの顔をしている。
ガムの横に、電子マネーのチャージ端末。雑誌棚の上に、ARの「新作配信中」バナー。なのにBGMは、客が持ち込んだカセットのウォークマンを棚の上で再生している。スピーカーが死んで、修理申請がいつまでも通らないからだ。
「音、ちっちゃ」
耳元で姉の声がした。
由香里、享年三十。アナフィラキシーであっさり逝って、それでも私の視界の隅に住みついたまま、こうして店の愚痴を言う。
「ちっちゃくていい。クレーム減る」
私はMDの棚に新しい値札を差し込みながら返す。MDは“復刻”で、再生はストリーミング連携。意味があるのかないのか、売れる。
入口のメタバース広場から、客が流れ込んでくる。
現実の自動ドアの向こう、広場の巨大スクリーンに、うちの店の「混雑度」と「本日のおすすめ」が映る。アバターが踊って、現実の人がそれに釣られて入ってくる。広場の端では、企業の神輿みたいな広告が回転していて、平成の商店街の呼び込みみたいにうるさい。
レジに、年配の客が来た。手にしているのはポケベル。
「これ、電池」
電池棚を案内しながら、私は見覚えのある型番の紙ラベルを剥がす。センサーダストが勝手に補足して、私の端末に「互換品推奨」と出した。
姉が鼻で笑う。
「互換って言葉、便利よね。人にも使うし」
客はポケベルを握ったまま、妙に丁寧に会釈した。
「この子、まだ鳴るんだよ。たまに国から来る」
国、という言い方がいちばん古い。
私は曖昧に笑って、電池を渡し、会計を打った。レシートの末尾に、細い文字で長い長いハッシュが並ぶ。誰も読まない祈りみたいに。
次の客がスマホを差し出す。画面はiモードみたいなメニューで、でも上に「サブスク特典受領」と出ている。
「ポイント、内閣のやつで」
内閣のやつ。
私は頷いて、支払いを「連鎖決済」に切り替えた。
その瞬間、店内の照明が一段だけ白くなった。
端末が震えて、通知が跳ねる。
《あなたは第0x29A-114503 内閣ユニット:内閣総理大臣に選出されました(短時間)》
息を飲む暇もない。
姉が笑った。
「はい出た。よりによって、今」
レジ前の客は、私の顔色を見て、財布を持ったまま固まっている。私は口の中だけで「すみません」を作り、端末の“閣議”タブを開いた。
差分断片が三件。
・《店舗用ウォークマン再生の安全基準緩和》
・《ポケベル周波数の再割当て(広場広告優先)》
・《センサーダストの収集データの第三者提供範囲拡大》
どれも、うちの店の現実と地続きだ。
姉が覗き込む。
「ねえ、あなたが総理の間に、うちのスピーカー修理通せば?」
「案件にない」
姉は舌打ちして、でもすぐ真面目な声になる。
「二つ目、嫌な匂いする。広場広告優先って、つまり……鳴らなくなる人が出る」
私はレジの客を横目に見た。ポケベルの客が、まだ入口のあたりで電池を握っている。メタバース広場のスクリーンがきらきらして、現実の影を伸ばしている。
“党ドクトリン署名が必要”の表示が、端末の下に小さく点滅する。
姉が囁く。
「ほら。解読されかけてるやつ。どうせ誰が押しても同じ結果に寄せる」
私は一件目だけ承認し、二件目と三件目を非承認にした。
理由欄に「店舗現場の混乱増」「信頼低下」とだけ打つ。幼稚なくらい短い言葉。
端末は少し沈黙してから、淡々と返した。
《署名不一致:党ドクトリンに適合しません》
《処理:差分断片 2件 自動承認》
二件目と三件目が、勝手に“承認済”に変わった。
私の指先が冷たくなる。
姉が、乾いた声で笑う。
「ほらね。あなたの意思は、値札より軽い」
照明が元に戻り、通知が消えた。
《短時間職務終了》
私はレジを再開する。客は何も知らない顔で、ポイントの残高だけ気にしている。
会計が終わって、ポケベルの客がまた私の前に来た。
「すまん。さっきから、鳴らないんだが」
私は電池のせいにできるほど、無邪気じゃない。
メタバース広場のスクリーンに、新しい広告が出た。
《センサーダストで、あなたの“欲しい”を先回り》
姉が言う。
「店員が総理になっても、結局は広告の方が偉い時代ってこと」
私は笑おうとして、レジの下のウォークマンに目を落とす。テープが回り続け、同じ曲のサビだけが、ちいさく何度も戻ってくる。
ポケベルの客が去る背中に、私は言えなかった。
さっきの五分間、私は国の最上段にいた。
そして、あなたの“鳴る”を、棚替えみたいに消したのは私だ。