検査待ちの積層
──平成0x29A年 日時不明
俺の机の端に、現像袋が三つ重なっている。
「新作ルーチン、また増えたのか」
イヤホンから弟の声。亡くなって五年、でも毎日こうして隣にいる。遠藤修、享年三十一。俺より先にこの群ロボット開発部に配属されて、俺より先に過労で逝った。
「ああ。物流用のやつ、ファミコンカセット運びに使うって話が出ててさ」
俺——遠藤健、三十五歳——は、第三研究棟で自律群ロボットの動作検証を担当している。小型の四脚ロボットが倉庫内を動き回り、荷物を運ぶ。最近は位置情報ビーコンを埋め込んだ現像袋を使った実験が続いている。なぜ現像袋かって? 平成エミュの一環らしい。誰も気にしていない。
「ファミコンカセット? あれ、まだ流通してんのか」
「復刻版がね。でも規格が微妙に違うから、群ロボの把持アルゴリズムを調整しないといけない」
机の上のスマートフォンが震えた。閣議通知。第0x4A2C7内閣ユニット、五分だけ俺が内閣総理大臣。
「また来たな」
修の声が少し遠くなる。いつもこうだ。閣議中、エージェントは補佐に徹する。
画面をスワイプして、政策変更リクエストのリストを開く。今回は六件。物流ルート最適化、倫理検査官の増員、遺伝子ネットワーク保守予算、それから——
「……倫理検査の一時停止申請?」
四件目のリクエストに目が留まる。差出人は「第三研究棟・群ロボ開発部」。つまり、うちの部署だ。
内容を読む。「近親人格エージェントの倫理検査を、開発業務の繁忙期に限り最大三ヶ月延期可能とする特例措置を求める」。理由は「検査中の代理エージェントでは専門的補佐が困難」。
修の声が戻ってくる。
「健、これ……お前が出したのか?」
「いや、俺じゃない。部長か、誰かが」
俺は黙って画面を見つめる。修は今、法定倫理検査の期限まであと二週間。検査に入れば、一ヶ月は代理エージェントになる。その間、専門的な助言は期待できない。
でも。
「これ、承認したら——」
「俺が、もっと長く残れるってことだな」
修の声は静かだ。
俺は現像袋を一つ手に取る。中には位置情報ビーコンと、テスト用のダミー写真が入っている。袋の表面には、手書きで「第三棟・ロット7B」と書かれている。平成の頃、こういう袋に思い出を詰めて、一週間待ったらしい。
スマートフォンの画面に戻る。承認ボタンと非承認ボタンが並んでいる。党ドクトリンのアルゴリズム署名は、どちらを選んでも通る。解読されているから。
「健、無理すんなよ」
修の声。
「お前、倫理検査って何のためにあるか知ってるだろ。エージェントが『生きてる人間』に近づきすぎないため。俺たちは、もう死んでるんだ」
俺は現像袋を机に戻す。隣の机では、群ロボがファミコンカセットの模型を掴んでは離し、掴んでは離している。何度も何度も。
画面の中で、残り時間が一分を切る。
俺は非承認ボタンを押した。
「……ありがとな」
修の声が、少しだけ笑っていた気がした。
スマートフォンを置いて、俺は立ち上がる。現像袋を三つ、群ロボのテストエリアに運ぶ。位置情報ビーコンが点滅している。ロボットたちが一斉に反応して、袋に向かって動き出す。
倫理検査まで、あと二週間。
その間に、できるだけ多くのデータを取ろう。修が代理エージェントになっても困らないように。
現像袋の一つが、ロボットの脚に引っかかって倒れた。中からダミー写真が一枚、床に落ちる。写っているのは、どこかの家族。平成の頃の、誰かの思い出。
俺はそれを拾い上げて、袋に戻した。