モニター越しのデコレーション
──平成0x29A年06月07日 15:10
コンソールのメインモニターには、第7居住ブロックを滑るように走る自律走行タクシーの車内が映し出されている。乗客は制服姿の女子高生二人組。楽しげな笑い声が、スピーカーから微かに聞こえてくる。
「やっぱ最新のプリクラ機じゃないと、デジタルツインと連携できないって」
「えー、マジ? でもさ、あそこのゲーセン、まだiモード連携のやつ残っててエモいじゃん」
俺はアクティブ・ユーザーリストを指でなぞり、異常がないことを確認する。午後三時過ぎ。眠気を誘う、穏やかな時間だ。
不意に、視界の隅でポップアップが明滅した。
【通知:代理エージェント04B】
件名:第12小学校3年2組 緊急連絡網(回覧)
本文:タナカ・ケンジ君が発熱のため早退しました。皆様もご注意ください。
心臓が少し跳ねる。息子の健太と同じクラスのやつだ。
「おい、健太のバイタル、今すぐ確認できるか? 自宅のリモート診療端末に接続してくれ」
《規定に基づき、業務中の私的利用は推奨されません。遠藤オペレーターの心拍数に軽微な上昇を検知。冷静な対応を推奨します》
頭の中に響くのは、合成音声としか思えない平坦な声。美咲が倫理審査に入ってから三週間、俺のパートナーはこの代理エージェントだ。
美咲なら、「心配だね、すぐ見てみよう」と言って、俺が頼む前に端末を繋いでくれたはずなのに。
「……分かってるよ」
俺は舌打ちしながら、監視業務に戻った。
モニターの中の女子高生たちは、今度はスマホのような、でもどこか分厚いガラケーのような端末をいじっている。
「見て見て、この待ち受け。先週撮ったやつ、アバターにデコってみた」
「かわいー。てか、そのフレーム、もう配布終わってなかった?」
「裏ワザだって。ドクトリンの署名アルゴリズムの隙間を突くと、古いデータも落とせるらしいよ」
女子高生たちの屈託のない会話が、ガラス一枚を隔てた向こう側の出来事のように聞こえる。彼女たちは、この世界の歪みすら、スタンプやフレームみたいにデコレーションして楽しんでいる。
《遠藤オペレーター。第0x28C内閣ユニットより、交通インフラ維持に関する差分リクエストのレビュー要請です。承認しますか?》
「……内容を要約してくれ」
《信号機制御システムのマイナーアップデート。現行ドクトリンとの整合性99.8%。承認を推奨》
「承認だ」
美咲なら、残りの0.2%のリスクについて、過去の類似ケースを三つは挙げてくれただろう。だが、代理にそれを求めるのは無駄だ。俺はただ、プラスチックの判子を押すみたいに、コンソールの承認ボタンをタップした。
勤務終了のブザーが鳴る。俺は逃げるように管制室を出た。
自宅のリビングでは、健太がブロックで何かを作っていた。幸い、顔色はいい。
「おかえり、父さん!」
「ただいま。風邪、もらってないか?」
「へいきー」
その屈託のなさに救われる。
ソファに腰を下ろすと、また頭の中に声が響いた。
《本日の業務レポートを提出します。総走行距離…》
「もういい」
俺はレポートを遮って言った。「美咲の倫理審査、いつ終わるか再照会してくれ」
《照会済み。ステータスは『処理中』。完了予定時刻は『未定』です》
だろうな。俺は乾いた笑いを漏らし、コンソールを取り出した。業務用の殺風景なデスクトップ。俺はさっき健太が描いた、クレヨン画の家族の絵をスキャンした。
へたくそな線で描かれた、俺と、健太と、今はいない美咲の三人。
それを、デスクトップの壁紙に設定した。
モニターの中で、美咲が笑っている。
「まあ、しばらくはこれで我慢するか」
頭の中の代理エージェントは、何も言わなかった。