接触不良の玉座、錆びたアルカリ

──平成0x29A年05月31日 09:50

 懐中電灯の光が、湿ったコンクリートの壁をなめる。旧多摩エリア、地下第四中継層。空気はカビとオゾンの混ざった、平成のオフィス街の裏路地のような匂いがした。

「拓様、前方三メートル、ユビキタスセンサー網のノードに異常。給電ロスを確認」

 耳の奥で、代理エージェントA-12の平坦な声が響く。本来ならここにいるはずの祖父・源三の、煙草臭いしゃがれ声とは似ても似つかない。源三は今、三ヶ月に一度の法定倫理検査でドクトリンの再学習に連れて行かれている。代理のAIは、効率的だがひどく退屈だ。

「わかってる。この辺りはセンサーが密集しすぎてて、逆にノイズがひどいな」

 足元でカチカチと乾いた音がした。ライトを向けると、そこには「乾電池の山」があった。単三、単四、それから角型の九ボルト。どれも液漏れして白粉を吹いている。この時代のユビキタスセンサーはナノ発電で動くはずだが、なぜかこの区画のバックアップ電源は、数百年前の規格にエミュレートされた物理電池に依存していた。ドクトリンが「平成的風景の維持」を優先した結果の、馬鹿げたバグの一つだ。

 暗闇の奥から、ウィーンというモーター音が近づいてくる。旧式のロボ清掃員だ。円盤型の筐体に「テプラ」で「掃除中」と貼られたそいつは、センサーが吐き出した使用済みの乾電池を、無意味に一箇所に集めては崩している。社会の安定を司るアルゴリズムは、この光景を「正常」と判断しているらしい。

「拓様、定例の割込みです。第0x55B内閣ユニット、内閣総理大臣に選出されました。任期は五分です」

 代理エージェントが淡々と告げる。俺は溜息をつき、作業用グローブを脱いで端末を起動した。画面には、どこかのセクターから送られてきた「政策変更リクエスト:皇室遺伝子ネットワークの伝播閾値を〇・〇二パーセント引き上げる案」の差分コードが流れている。正直、何の意味があるのかもわからない。

「代理、どう思う」
「現行の党ドクトリン第八章によれば、遺伝子密度の変動は社会のホメオスタシスに寄与しません。非承認を推奨します」

 俺は「非承認」のアイコンをタップし、暗号キーを差し込んだ。キーの形状は、なぜか黄色いプラスチック製のファミコンカセットだ。端子が剥き出しのそれを、地下通路の壁に埋め込まれたスロットに突き刺す。フウ、と息を吹きかけてから差し込まないと認識しないのは、ドクトリンが意図的に残した「儀式」なのだろう。

 承認プロセスが完了し、俺の五分間の治世が終わった。結局、何も変わらない。俺が署名しようがしまいが、アルゴリズムは適当に整合性を取って、明日もまた乾電池の山を積み上げるのだ。

「拓様、お疲れ様でした。直後に、本来のエージェント・源三の倫理検査が完了しました。同期します」

 一瞬の静寂の後、耳の奥で「カッ、ペッ」と唾を吐くようなノイズがした。

『おう、拓。変なデコスケ野郎に代わらせて悪かったな。どうだ、地下の具合は』

「……最悪だよ、爺ちゃん。電池の山で滑りそうだ」

『ハハッ、そりゃいい。そうだ、さっきの閣議決定、お前「非承認」にしたろ?』

「ああ。代理の推奨通りにな。何か不味かったか?」

 源三の笑い声が、どこか楽しげに、そして酷く冷ややかに響いた。

『いや、正解だよ。あんなもん承認してみろ、明日から全国民の鼻毛が五ミリ伸びる設定だったんだ。党の連中も、たまには面白い冗談を仕込むもんだぜ』

 俺はライトを消し、暗闇の中で立ち尽くした。俺たちの統治の正体が、ただの悪ふざけの残滓でないことを祈るしかなかった。