年末調書、午前三時の磁気と骨
──平成0x29A年12月28日 03:50
MOディスクの盤面に、蛍光灯の光が滑る。
俺はそれを三枚、カウンターの上に並べた。ラベルには手書きで「甲種継続担保・第7信用区・R票」とある。字は俺のじゃない。死んだ親父の癖字だ。
「——圭一。並べる順番が逆だ」
スマートグラスの右端、視界の隅に親父の声がテキストで浮く。音声出力は深夜だから切っている。第7信用区の契約照合室は午前三時を過ぎると俺しかいない。空調が低く唸るだけの部屋で、親父のテキストだけがちらちら光る。
「……逆って、どっちが先だよ」
声に出して聞いた。返答が来るまでに妙な間があった。三秒。いつもなら即答する親父が、三秒黙った。
「Rの8が先だ。8、12、3の順。——いや」
テキストが途切れた。
「いや、3が先か。3、8……待て」
俺は手を止めた。親父——梶 義隆、享年59、心筋梗塞。元は信用金庫の融資課長で、数字の順序を間違えたことなんか生前一度もなかった。エージェントになってからも同じだった。少なくとも先月までは。
「親父。いいよ、自分で確認する」
MOディスクをリーダーに差し込んだ。旧式のドライブが甲高い音を立てて回転する。画面にはスプレッドシートが開き、数字の羅列がずらりと並ぶ。契約照合というのは要するに、信用区内で処理された年間の担保差分を、党ドクトリン署名つきの台帳と突き合わせる仕事だ。年末だから溜まっている。12月28日の締め切りまでに全件通さないと、来年度の内閣ユニット承認が降りない。
スマートグラスが台帳の照合結果をオーバーレイで映す。数値はほぼ一致。ただ三件、署名ハッシュの末尾が微妙にずれている。最近はこれが多い。アルゴリズムの公然解読が進んで、署名の強度がもう紙みたいなものだと、同僚の赤羽が昼間ぼやいていた。
紙、で思い出す。カウンターの端に、回覧板が置いてあった。プラスチックの挟み板に、A4のコピー用紙が一枚。「年末年始・位置情報ビーコン点検のお知らせ」。各フロアのビーコンを12月29日から1月3日まで順次メンテナンスするので、勤務中は必ず物理IDカードを携帯せよ、と書いてある。俺はハンコ欄に認印を押して——朱肉がかすれた——次の欄を見た。赤羽の欄は空白、その下の欄に知らない名前。異動があったのか。回覧板の裏に、誰かがボールペンで「ビーコン切れてる間、3Fの自販機の横で圏外になります」と走り書きしていた。
親父が再びテキストを寄越した。
「圭一。R票の3番、被担保額が台帳と合ってないぞ」
まともなことを言っている。俺はほっとして画面を確認した。確かに合っていない。差分は40万。小さいが、見逃していい数字じゃない。
「ありがとう。修正する」
「当然だ。——俺が教えたろう。差分は必ず、原本に戻れ」
親父の口癖だ。生前もそうだった。ただ、次に浮いたテキストで、俺の指が止まった。
「修正後は閣議に回せ。ドクトリンに従え。差分を承認させろ。——最適だ」
最適。
親父はその言葉を使わない人間だった。「最善を尽くせ」とは言った。「最適」とは一度も。
俺はスマートグラスを外した。蛍光灯の光が直接目に刺さる。MOディスクの盤面が鈍く光っていた。親父の癖字のラベル。R票。3、8、12。
グラスをもう一度かけた。テキスト欄に、親父の名前が点滅している。その下に小さく、前回の法定倫理検査日が表示されていた。
——11ヶ月前。
次の検査予定日は、表示されていなかった。