ディスク棚の奥、失われた署名
──平成0x29A年04月05日 04:00
俺の仕事は、第19商業ブロック内の「メディアショップ・ノスタルジア」で在庫管理と配送手配をすることだ。午前四時。誰もいない店内で、俺はウォークマンで流れるラジオを聞きながら、棚の奥に眠るフロッピーディスクの山と向き合っていた。
「恒一、そんな古いもん売れるわけないだろ」
兄貴のエージェントが呆れたように言う。享年三十四、配送トラックの事故で逝った。生前と同じく、無駄を嫌う性格は健在だ。
「いや、でも注文入ってるんだよ。分散ストレージ用の物理メディアとして需要があるらしい」
俺は端末を操作し、注文リストを表示させた。確かに三件のフロッピーディスク注文がある。どれも党ドクトリン署名付きの正式な発注だ。配送先は第22データ保全ブロック。
問題は、その署名の暗号化キーが店の在庫管理システムと合わないことだった。俺の端末は「承認不可」の赤いランプを点滅させ続けている。
「システム更新が遅れてるんだろ。よくあることだ」
兄貴は淡々と言うが、俺は困っていた。このまま放置すれば配送が滞る。かといって、勝手に出荷すれば監査で引っかかる。
ふと、店の裏口を見た。古いスマートドアだ。認証パネルは最新式だが、ドア本体は平成初期の金属製。このドアも、署名の不一致でたまに開かなくなる。そのたびに俺は物理キーで開けている。
「……物理キー、か」
俺は棚の下から、埃まみれの紙のマニュアルを引っ張り出した。初代店長が残した「緊急時対応手順書」。ページをめくると、「署名不一致時の代替承認フロー」という項目があった。手書きで記入された手順が並んでいる。
「手書きの伝票で出荷記録を残し、後日システムに手入力する」
兄貴が読み上げる。
「……マジか」
俺は引き出しから古いボールペンと伝票用紙を取り出した。インクは掠れていたが、何とか書ける。フロッピーディスクの商品コード、注文番号、配送先を丁寧に記入していく。
その時、端末から通知音が鳴った。
「第0x4A29C内閣ユニット、あなたが内閣総理大臣に選出されました。残り時間:4分58秒」
俺は固まった。
「おい、恒一。これ、閣議案件が来てるぞ」
兄貴が慌てた声を出す。画面には「商業ブロック在庫管理システムの暗号キー更新に関する政策変更リクエスト」という文字が浮かんでいた。
俺の手元にある、まさにこの問題を解決する案件だ。
「承認するか?」
兄貴が訊く。俺は伝票を見た。手書きの文字。掠れたインク。そして、棚の奥のフロッピーディスク。
「……いや、非承認で」
「は?」
「だって、これ承認したら、俺の手書き伝票が無駄になるじゃん」
俺は画面の「非承認」ボタンを押した。理由欄には「現行の代替手順で十分に対応可能」と入力した。党ドクトリンの暗号アルゴリズムが署名を生成し、案件は却下された。
五分後、俺は再び一介の店員に戻っていた。
手書きの伝票を持って裏口のスマートドアへ向かう。認証パネルは相変わらず赤く点滅している。俺は物理キーを差し込み、ドアを開けた。
外は薄明るくなり始めていた。配送用のバイクにフロッピーディスクの箱を積む。ウォークマンからは、朝のニュースが流れ始めた。
「……恒一、お前、やっぱり兄貴に似てきたな」
エージェントが笑った。
「どこが」
「無駄を守るところ」
俺も笑った。バイクのエンジンをかける。排気音が静かな商業ブロックに響いた。