MDの旋律、観光案内所の夜明け前
──平成0x29A年06月27日 00:40
「お待たせしました。自律型バス、まもなく到着します」
深夜の観光案内所で、俺は来訪者用の端末をいじりながら、カウンター越しに立つ年配の男性客に告げた。午前零時四十分。この時間に来る客は珍しい。
「助かります。いやあ、まさか平成エミュってこんなに混線してるとは思わなくて」
男性は苦笑いしながら、手元のMDプレーヤーをいじっていた。観光客向けに配布している音声ガイドだ。俺たちの街区は「平成レトロ体験区」として売り出しているが、実際はただのエミュの産物だ。ディスクが出てこないらしく、男性は困惑している。
「あー、それ、イジェクトボタンが二種類あるんですよ。側面のやつは90年代仕様で、正面のは00年代の。混線してて」
「なるほど!」
カチャリと音がして、ディスクが出てきた。男性は嬉しそうにそれを手に取った。ラベルには「第0x3A観光ルート・夜間特別版」と印字されている。
「次はMOディスクで記録を持ち帰れるサービスもあるんですが、今日はもう在庫切れで」
俺がそう言うと、男性は首を振った。
「いえいえ、音声だけで十分です。それより、カーボンクレジット台帳の手続きがまだで……移動分の記録、ちゃんと反映されますかね?」
「大丈夫です。自律型バスは全部自動計上されますから」
俺は端末の画面を見せた。バスの現在地と、男性の台帳残高が並んでいる。クレジットはまだ余裕がある。
その時、俺の耳元でエージェントが囁いた。
『剛志、あの人の台帳、ちょっとおかしくないか?』
兄貴だ。享年二十八、交通事故死。生前は観光業のシステム管理をしていた。
『どこが?』
『移動距離の計算が合わない。多分、バスの経路データが古いまま同期されてる』
俺は端末を見直した。確かに、表示されている移動距離は実際のルートより三割ほど短い。平成エミュの混線で、バスのGPSデータが90年代の精度で記録されているせいだ。
「あの、すみません。ちょっと確認させてください」
俺は男性に断って、端末の裏メニューを開いた。手動で距離を修正する画面だ。本来なら権限外だが、こういう時のためのパスワードを兄貴が教えてくれていた。
『いいのか?ログに残るぞ』
『いいんだよ。これ、向こうが損するんだから』
俺は正確な距離を入力し、台帳を更新した。男性の残高が少し減る。
「お待たせしました。これで大丈夫です」
「ありがとうございます」
男性は頭を下げた。その時、窓の外で自律型バスのヘッドライトが見えた。滑らかに停車する。ドアが開く音。
「それでは、良い旅を」
俺はそう言って、男性を見送った。バスが走り去る。静かな夜が戻ってくる。
カウンターに戻ると、端末の画面に小さな通知が出ていた。
『第0x*****内閣ユニット・総理大臣任命通知』
五分間だけ、俺が総理大臣らしい。まあ、何も来ないだろう。
『剛志、リクエスト来てるぞ』
兄貴の声。画面を見ると、観光区の案内表記統一に関する差分リクエストが届いていた。MDプレーヤーのボタン配置を「00年代仕様に統一」するという内容。
俺は少し考えて、非承認を選んだ。混線してるからこそ、観光客は喜ぶ。それでいい。
『お前らしいな』
兄貴が笑った気がした。五分が過ぎる。通知が消える。
俺はMDプレーヤーのサンプルを手に取った。イジェクトボタンを押す。ディスクが出てくる。側面のボタンだ。俺は正面のボタンも押してみた。こちらも動く。
どっちでもいい、と思った。それが、この街の良さなんだから。