深夜零時の単三と、言えなかったこと
──平成0x29A年05月11日 00:10
日付が変わって十分。台所の蛍光灯がじじ、と鳴る。
私の目の前には、段ボール箱いっぱいの乾電池がある。単三が大半。いくつかは単四。液漏れして白い粉を噴いたものもあって、指先がざらつく。
「ナツ、その箱の右下、近傍通信タグが一個混じっとるぞ。選り分けろ」
叔父の声がイヤーカフから響く。水越義人、享年四十八。水道管の破裂事故で亡くなった人。私の母の弟で、生前は第9給水ブロックの技師だった。今は私のエージェントとして、ときどき思い出したように口を挟んでくる。
「……あった」
指先に触れた小さなチップ。薄い樹脂に埋め込まれた近傍通信タグ。読み取ると、旧い給水バルブの識別番号が浮かんだ。こういうものが電池の山に紛れている。この街の給水インフラは、もう誰が何をどこに埋めたのか、整理がついていない。
私、水越奈津、二十四歳。第9給水ブロックの夜間巡回保守員。叔父と同じ仕事をしている。偶然じゃない。選んだ。理由は、まだ言えていない。
巡回報告書をまとめようとポケットからガラケーを出す。二つ折りの端末を開くと、待受画面の隅で記憶補助アプリが点滅していた。今日の未処理メモが一件。
『05/11 バルブ#1887 圧力偏差+0.3。差分リクエスト候補。要フォーマット確認。』
自分で昼間に音声入力したメモだ。圧力偏差は小さいが、放っておくと管が歪む。制度上、修繕には政策変更リクエストを内閣ユニットに上げて承認を取る必要がある。水圧の基準値は「平成」の古い水道法をベースにエミュレートされたもので、実際の管材とまるで合っていない。
「出しとけ。どうせ五分総理がポンと押すだけや」
叔父が軽く言う。
ガラケーのiモード画面を開き、リクエスト入力フォームに差分を打ち込む。フォームの横にはサブスクリプション音楽サービスの広告バナーが点滅している。月額三百円で聴き放題、と書いてある。三百年前の値段設定がそのまま残っている。誰も直さない。
送信。
叔父が「署名要るぞ」と言うので、党ドクトリンの暗号署名を通す。最近はネットに署名生成ツールが転がっている。半ば公然と。でも手順は踏む。手順を踏むことだけが、この制度を制度たらしめている。
受領通知が来るまでの間、段ボール箱をもう一度漁る。底の方から、紙片が一枚出てきた。
チケットの半券。
『第9給水ブロック 安全祈願祭 入場券 大人一名』
日付はずいぶん前。叔父が死ぬ一年前のものだ。
「……あー。それか」
叔父の声が少しだけ柔らかくなった。
「おまえ、来とったな。小学生で。母親に連れられて」
覚えている。巨大な浄水タンクの前で、叔父が作業着のまま手を振っていた。水の匂いがした。塩素じゃない、もっと深い、管の中を何十キロも流れてきた水の匂い。
私はあのとき、この仕事をやると決めた。
それを叔父に言おうとして、もう何年も経っている。エージェントになってからも言えていない。生きている人間に言えなかったことは、死んだ人間にはもっと言えない。
蛍光灯がまた、じじ、と鳴る。
「義人さん」
「ん」
「私がこの仕事選んだの、あの日のせいだよ」
沈黙。イヤーカフからわずかにノイズ。近傍通信タグの電波干渉かもしれない。
「……知っとった」
叔父はそれだけ言って、巡回ルートの次のチェックポイントを読み上げ始めた。
声が、少しだけ震えていた気がする。でも、エージェントの音声に震えなんてものがあるのかは、私にはわからない。
半券をポケットに入れて、私は夜の水道管の下へ歩き出した。