年賀状の裏、紙札は白く光る

──平成0x29A年12月10日 08:40

駐輪場の紙札を剥がしていると、記憶補助アプリが震えた。

「おい、手を止めるな」

伯父の声だ。柏木忠夫、享年64、警察官だった。交番勤務の最後の年、心臓が止まった。今は俺のエージェントとして、この仕事を監視している。

俺は柏木雄介、35歳。第11治安ブロックの駐輪監視員だ。この時期は特に忙しい。年賀状の配達ピークに合わせて、違法駐輪の取り締まりが強化される。郵便ドローンの着陸ゾーンを確保するためだ。

紙札には、車体番号と撤去予定時刻が印字されている。平成の頃からずっと変わらない様式だ。だが今朝、妙なことに気づいた。

「伯父さん、これ見てくれ」

俺はアプリの画面に紙札をかざした。QRコードの隅に、小さく党ドクトリン署名のハッシュ値が埋め込まれている。いつもなら32桁の16進数が並ぶはずだが、今日の札は31桁で終わっていた。

「……桁が足りねえな」

伯父の声が低くなる。

「内閣ユニットの署名エラーか?」

「だろうな。昨夜の第0x4A2F内閣が出した撤去命令、アルゴリズムの鍵更新に失敗したんじゃねえか」

デジタル円ウォレットを開くと、撤去手数料の入金通知が並んでいる。だが今朝の分だけ、ステータスが「保留中」になっていた。署名不整合で、決済が凍結されている。

「柏木、どうする」

記憶補助アプリが通知を出した。《倫理検査予定:本日15:00》。伯父のエージェントは、あと6時間で一時停止される。代理エージェントに切り替わるまで、俺は一人で判断しなければならない。

「……剥がすな」

伯父が言った。

「え?」

「署名が不完全な命令に従う必要はねえ。党ドクトリンの原則だ。お前が撤去して、後で『無権限行為』って言われたらどうする」

「でも、年賀状の配達が」

「知ったことか。システムのケツは、システムが拭け」

俺は紙札を持ったまま立ち尽くした。駐輪場の向こうで、郵便ドローンが低空を旋回している。着陸できずに困っているようだった。

伯父は生前、よく言っていた。「現場は現場で守れ」と。上からの命令がどうであれ、目の前の秩序を保つのが俺たちの仕事だと。

だが今、伯父は逆のことを言っている。

「伯父さん、あんたは昔」

「昔は昔だ」

声が硬い。

「俺はもう、お前を守ることしかできねえ」

アプリの画面が一瞬、白く光った。倫理検査の予告通知だ。エージェントの記憶は、定期的に「補正」される。党ドクトリンに沿わない判断傾向があれば、調整される。

伯父は、知っているのだ。自分がこの後、少し変わってしまうことを。

俺は紙札を、そっとポケットにしまった。

「……わかった。今日は、剥がさない」

「そうしろ」

伯父の声が、少しだけ穏やかになった。

ドローンはやがて諦めて、隣のブロックへ飛んでいった。駐輪場には、署名不全の紙札が揺れている。年賀状は、少しだけ遅れて届くだろう。

俺は空を見上げた。平成エミュレートの空は、いつもより少しだけ白く見えた。