深夜ラジオと裏道の閣議
──平成0x29A年03月08日 18:10
アクセルを踏み込む。平成0x29A年03月08日、18時10分。夕焼けが西の空を赤く染め、俺のトラックは東名高速を西へ向かっていた。深夜配送の長距離便だ。
「剛、あんまり飛ばしすぎんなよ。まだ始まったばっかだぞ」
助手席の空中ディスプレイに、父さんの顔が浮かぶ。田中茂、享年68。俺と同じくトラック運転手だった父さんの近親人格エージェントだ。口調は生前と変わらずぶっきらぼうだが、声のトーンはどこかデジタル処理された穏やかさがある。こういうところが、俺には少し寂しくもある。
「わかってるよ、父さん。今日の目的地はあのバイパスの先だから、ちょっとでも巻いときたいんだ」
キャビンには、少しノイズ混じりの深夜ラジオが流れていた。懐かしい90年代ポップス。最新のストリーミング音源より、このアナログ感がなぜか落ち着く。俺の折りたたみ携帯は、緊急連絡以外はほとんど使わない。
父さんが空中ディスプレイ越しに眉をひそめた。「バイパス? システムの推奨ルートは、その先の信号が多い旧道じゃなかったか?」
「だからだよ。みんな知ってる。あの旧道はAIが最適なルートだっていうけど、実際は信号待ちでイライラするだけだ。バイパスの途中に一本、抜け道があるんだよ。みんな使ってる。公式じゃないけど、そこを通れば体感で30分は違う」
父さんはフン、と鼻を鳴らした。「システムがいくら最適化だと言っても、現場の人間が一番知ってるってことだ。まったく、党ドクトリンも現場を知らねえ連中が作ったもんだ」
その時、ダッシュボードのメインディスプレイが不意に点滅した。眩い光と共に、第0x00A381内閣ユニット総理大臣、の文字。脳みそが痺れるような感覚。よりによって、このタイミングか。
「おいおい、剛! マジかよ、お前が総理大臣か!」父さんの声がディスプレイ越しに興奮している。
空中ディスプレイに政策変更リクエストが表示された。今日のテーマは「現行AI最適化ルートにおける、地域推奨バイパス経路の暫定承認」――は? まさか、俺がさっき話してたあの「裏道」のことか?
「なん、だこれ…」
「まさか、お前がいつも使ってる『裏ルート』の公認化じゃねえか! 承認したらCPUコストが上がるぞ、たぶん。党ドクトリンは効率を重視する。だが、その効率が現場の肌感覚と乖離していることは、今に始まったことじゃない。アルゴリズムの穴だろ、要は」
父さんの言葉が脳内に響く。俺の5分間は、始まったばかりだ。リクエストの内容を再確認する。承認か、非承認か。エージェント機能が脳を加速させ、情報が洪水のように押し寄せる。承認すれば、俺がいつも使っている裏道が、一時的とはいえ公認される。非承認なら、このリクエストはまた別の誰かの5分間に持ち越されるだけだ。どうせ、誰かが承認するだろう。みんな使ってるんだから。
「剛、そんなに悩んでる暇ねえぞ。俺の思考も、あんまり長引くと時間貸しCPUのコストが跳ね上がるぞ」
父さんの軽口が、俺の思考を現実へと引き戻す。わかってる。俺の5分間は、膨大な並行処理の一つでしかない。だからこそ、俺は、俺たちの現場の利便性を優先する。
「承認、だ」
俺は空中ディスプレイの「承認」ボタンをタップした。指先にピリッとした感覚が走る。5分間の総理大臣の任期が終了したことを告げる通知がすぐに表示された。結局、俺の判断は、この広大なシステムのどこかで小さく承認されただけのことだ。
「おいおい、承認したはいいが、適用されるのは次のヘゲモニー期から、なんてオチじゃねえだろうな?」父さんがからかうように言った。
「……どうせ、俺の5分間の判断なんて、大河の一滴にもならないさ」俺は苦笑いした。
無線から同僚の声が聞こえてくる。「田中、そっちのバイパス、裏道ちょっと渋滞してるぞ。みんな使ってるからな」
俺はふっと笑い、ギアを上げた。うん、だろ? 結局、システムがどう言おうと、俺たちはいつも、現場で一番効率の良い道を知っているのだ。
深夜ラジオからは、今も懐かしいポップスが流れていた。どこか、そんな俺たちの営みを肯定するように。</div>