メダルの残高が尽きるまで
──平成0x29A年01月11日 18:10
閉店まであと五十分。フロアに客はいない。
あたしはカウンターの内側で、メダル計数機のホッパーを開けたまま、三度目の監査ログを入力していた。ゲームセンター「プラネット」──旧池袋エリアの地下二階、蛍光灯が一本切れかけて、筐体の隙間からモグラたたきの電子音がずっと鳴っている。
右のこめかみがぴりっと震えた。脳波UIの受信マーカー。
「七十二番筐体、メダル払出量の日次上限超過。差分レポートの提出が必要です」
ばあちゃんの声だ。正確には、二年前に亡くなった祖母・原田節子のエージェント。生前と同じ、語尾だけ微妙に上がる癖がそのまま残っている。
「……わかってる。今やってる」
「今日で五件目ですよ、沙月。先月は月に二件だったのに」
知ってる。知ってるから困っている。
第402ヘゲモニー期に入ってから、娯楽施設の監査頻度が倍になった。差分レポートというのは要するに、うちの店のメダル払出データと中央ドクトリンの「遊技施設運営基準」との差異を一個一個説明する書類のことだ。メダル一枚の誤差でも自動フラグが立つ。署名アルゴリズムはとっくにみんな解読してるくせに、手続きだけは律儀に回ってくる。
あたしはガラケーを開いた。二つ折りの、ヒンジが少しゆるくなったやつ。着メロが一瞬鳴る──松田聖子の「SWEET MEMORIES」のサビ、五秒だけ。新着の監査通知。今日六件目。
ばあちゃんが黙った。黙るときは、だいたいあたしの代わりに怒っている。
「デジタルツイン照合も求められています」
「え、メダル機の?」
「七十二番筐体の物理状態とデジタルツインの同期差が〇・三パーセントを超えたため、現場確認のうえ写真付きで──」
「〇・三って、コインの汚れじゃん」
「そうですね」
ばあちゃんの声は穏やかだった。でもその穏やかさが、むしろ刺さる。
生前の祖母は、この店の初代店長だった。「プラネット」は三代続いている。祖母が始めて、母が継いで、母が病気で倒れてからはあたしが回している。母のエージェントは……使えない。享年が若すぎて人格データの解像度が足りず、倫理検査で弾かれたまま、代理エージェントすら割り当てが来ない。だからばあちゃんが来た。
メダルを一枚、掌に乗せた。真鍮の、少し曲がったやつ。七十二番の「スターホース」から溢れていたもの。表面に刻まれた星のレリーフが、蛍光灯の下でぼんやり光る。
ばあちゃんは生きていた頃、閉店後にあたしとよくメダルゲームで遊んだ。競馬のやつ。ばあちゃんはいつも大穴に全賭けして、笑いながら破産した。
「ばあちゃん」
「はい」
「来月の倫理検査、いつだっけ」
「二月八日です。二十八日間の停止期間に入ります」
二十八日。そのあいだ、監査ログは一人で書かなきゃいけない。六件、七件、たぶんもっと増える。デジタルツインの同期率を小数点以下まで説明して、メダルの枚数を数えて、署名して、送って、また次が来る。
筐体のスピーカーから、ファンファーレが鳴った。誰もプレイしていないのに、デモ画面が勝手にボーナスステージに入っている。
「……ねえ、ばあちゃん」
「はい」
「あたしがこの店閉めたら、ばあちゃんはどうなるの」
沈黙。五秒。十秒。
「私はエージェントですから、沙月に紐づいています。店には紐づいていません」
「そういうことじゃなくて」
「……わかっていますよ」
声が、少しだけ揺れた。生前にはなかった揺れ方だった。
あたしはメダルをホッパーに戻した。真鍮が真鍮の山に落ちて、乾いた音がした。
六件目の監査通知を開く。ガラケーの小さな画面に、差分データがびっしり並んでいる。
「──入力、始めます」
「はい。読み上げましょうか」
「お願い」
ばあちゃんの声が、数字を一つずつ読み上げていく。あたしはそれを打ち込んでいく。蛍光灯が明滅して、どこかの筐体でまたファンファーレが鳴って、地下二階のゲームセンターは相変わらず空っぽだった。
この店を継いだのは、メダルのためじゃない。
ばあちゃんの声を、もう少しだけ聞いていたかっただけだ。