センター問い合わせの夜、沈丁花は香る

──平成0x29A年04月03日 19:00

 ホログラムで投影された「天地無用」の赤字が、俺の目の前を流れていく。第4物流ハブの夜は早い。一九時を回り、ベルトコンベアの駆動音が唸りを上げ始めた。

「健太、三番レーンが詰まってるぞ。また『画像読み込み』でフリーズしてんじゃねえか?」

 脳内で、しゃがれた声が響く。叔父の哲也だ。元長距離トラックの運転手で、俺が物心つく前に居眠り運転の事故で死んだ。今は俺の視覚野に同居するエージェントとして、配送業務の愚痴に付き合ってくれている。

「分かってるよ。この端末、iモードのエミュレート精度が高すぎて重いんだ」

 俺は手元の端末を親指で操作した。液晶画面には、わざと粗いドットで構成されたテキストサイト風の管理画面が表示されている。黒背景に蛍光色の文字。ページ下部の『次へ』リンクを押すたびに、画面上部のアンテナピクトの横で「i」のマークが点滅する。数秒のラグ。これが「平成の通信環境」を再現した仕様だというのだから、党のドクトリンには呆れる。

 三番レーンに向かうと、案の定、段ボールの一つがガイドレールに引っかかっていた。ラベルには『匂い再現カートリッジ・春の記憶セット』とある。箱の角が潰れ、そこから甘く切ない香りが漏れ出していた。沈丁花だ。無機質なオイルと金属の匂いが充満する倉庫の中で、そこだけが異質な春を主張している。

「へえ、いい匂いじゃねえか。昔、深夜の国道で窓開けた時みてえだ」

 哲也が懐かしむようなシグナルを送ってくる。俺は箱を拾い上げ、端末でバーコードをスキャンした。画面が遷移し、『センター問い合わせ中...』の文字が点滅する。長い。

『宛先不明:転居先未登録』

 無慈悲なテキストが表示された。この時期は新生活の移動が多く、役所のデータベース更新が追いつかない。本来ならAIが推論して新住所へ転送できるはずだが、プライバシー保護という名目の「すれ違いエミュレーション」により、本人が気付いて住所変更申請をするまで荷物は迷子になる。

「捨てちまうのか?」
「規定ではね。保管スペースも限界だし」

 俺が廃棄レーンへ手を伸ばしかけた時、視界の端に赤い警告灯が灯った。サイレンはない。ただ静かに、視界ジャックが始まる。

『第0x49B内閣総理大臣・認証』

 俺の意識が、数千キロ彼方のサーバーへと接続される。ランダムで回ってくる五分間の統治権。目の前のiモード画面が切り替わり、無数の承認待ちリクエストが並ぶ掲示板サイトのようなUIが現れた。

 その中に、一件のドクトリン修正案があった。
『物流滞留時における一時保管猶予期間の短縮について』

 効率化のために、宛先不明の荷物を即座に処分する権限を現場に与えるものだ。承認ボタンを押せば、俺の仕事は楽になる。この沈丁花の箱も、今すぐコンベアから消せる。

「……健太、ラジオつけていいか」

 唐突に叔父が言った。

「今? 仕事中だぞ」
「いいから。俺の選曲リストだ」

 許可する間もなく、聴覚野にノイズ混じりの音が流れる。AMラジオ特有の、こもった音質。深夜番組のエンディングテーマらしい、ゆったりとしたピアノ曲だ。

「昔はよ、住所も知らねえ誰かのハガキが読まれるのを、何時間も待ったもんだ。届くかどうかも分からねえのにな」

 俺は手元の箱を見下ろした。沈丁花の香りが、ラジオの旋律と混ざり合う。この匂いを待っている誰かが、どこかの部屋で、更新されない追跡画面を何度もリロードしているかもしれない。

 俺は総理大臣として、修正案の『非承認』を選択した。さらに、付帯決議として『季節性物品の特別保管延長』のフラグを立てる。たった五分間の気まぐれだ。

 接続が切れ、視界が倉庫に戻る。手元の端末には『保管庫Bへ転送』の指示が出た。

「面倒な方を選んだな」
「アンタがラジオなんか流すからだ」

 俺は沈丁花の箱を、廃棄レーンではなく保管棚へのコンベアに載せた。箱はガタガタと音を立てて、暗い倉庫の奥へと運ばれていく。いつか届くだろうか。iモードの画面には、まだ『センター問い合わせ』の履歴が残っている。

 次の荷物が流れてくる。俺は少しだけ深呼吸をして、また重たいボタンを押し込んだ。