群れは夜更けに走り、フィルムは眠る
──平成0x29A年07月17日 00:20
俺の机の上には、使い捨てカメラが三台並んでいる。
第9技術開発ブロックの地下三階。時刻は午前零時二十分を回ったばかり。物流用群ロボットの改良プロトタイプが、試験走行のため廊下を行ったり来たりしている。小型冷蔵庫ほどの箱が六台、低い駆動音を立てて連なって動く様子を、俺は三十分おきに撮影して記録する。デジタルでいいじゃないかと思うが、開発部長の指示は「フィルムで残せ」だ。平成エミュの名残なのか、それとも何か別の意図があるのか、俺にはわからない。
「恒一、次の走行まであと八分です」
声をかけてきたのは、母さんのエージェントだ。香坂明美、享年五十七。心臓の持病で亡くなった。生前は経理をやっていて、数字と時間にうるさかった。その性質はエージェントにもしっかり引き継がれている。
「ああ、わかってる」
俺は通帳を開いた。正確には、俺の時間貸しCPU利用履歴が印字された、銀行の旧式通帳だ。今月は群ロボの演算支援に個人の余剰CPUを貸し出していて、その使用料が細かく記帳されている。一行ごとに〇・〇〇三クレジットとか、〇・〇〇五クレジットとか、地味な数字が並ぶ。合計すればそれなりになるが、正直、実感はない。
「明美さん、倫理検査の通知、まだ来てないよな?」
俺は念のため確認する。母さんのエージェントは去年の秋に検査を受けたばかりで、次は来年の予定だ。だが最近、検査のタイミングがずれることがあると聞いた。システム全体の負荷が増しているせいらしい。
「来ていません。安心してください、恒一」
母さんの声は穏やかだ。俺はほっとする。代理エージェントは便利だが、母さんの声じゃない。それだけで、夜勤がずっと長く感じる。
群ロボが再び動き出した。今度は少し速度を上げている。俺はカメラを構え、シャッターを切る。カシャリ、という音が地下の空気に染み込む。フィルムの感触が、妙に生々しい。
「恒一、ロボットの三号機、少し動きがおかしいですね」
母さんが指摘する。俺も気づいていた。三号機だけ、微妙に蛇行している。演算負荷の配分ミスか、それとも物理的な駆動部の問題か。
「報告しとく。ありがとう、明美さん」
俺は端末を開き、簡単なメモを打ち込む。送信先は開発部長だが、この時間に読むかどうかは分からない。
そのとき、母さんのエージェントが沈黙した。
「……明美さん?」
返事がない。俺は端末を確認する。画面に小さな通知が浮かんでいた。
『エージェント倫理検査開始通知/香坂明美/即時実施』
即時、だと?
「代理エージェントに切り替わります。ご了承ください」
無機質な声が流れる。俺の胸が、ぎゅっと締め付けられた。
群ロボはまだ走っている。三号機は相変わらず蛇行しながら、それでも列を乱さず進んでいく。俺はもう一度シャッターを切った。カシャリ。音だけが、やけに大きく響いた。
通帳を閉じる。時間貸しCPUの記録も、群ロボの走行記録も、全部数字だ。でも母さんの声は、数字じゃない。
代理エージェントが言った。
「次の走行まで、あと五分です」
その声は正確で、冷たくて、何も間違っていなかった。