終電のあと、ポケベルが鳴る
──平成0x29A年03月31日 00:10
深夜零時を回った第14交通ブロックの環状モノレール。最終便はとっくに出たはずなのに、俺の乗った車両だけがホームに張りついたまま動かない。
車内の蛍光灯がちかちかと瞬いて、つり革が小さく揺れた。振動だけはある。走っていないのに振動がある。座席の触覚フィードバック端末が誤作動しているのだ。尻に伝わる細かなパルスが「次は──次は──」と途切れた車内アナウンスに同期して、妙に気持ちが悪い。
腰のポケベルが鳴った。液晶に数字が並ぶ。
「8931──」
婆ちゃんだ。数字語呂合わせの「ハクサイ」。白菜が安いから買って帰れ、という意味になる。俺のエージェントは祖母の小山田節子、享年八十一。脳の血管がぷつんといったらしい。生前と変わらず、季節の野菜の値段にだけは異様に詳しい。
「婆ちゃん、もう三月末だよ。白菜の旬は終わった」
ポケベルの画面が切り替わる。「4」「1」「0」「4」。ヨイオシ──良いお知らせ。何の。
耳元のイヤピースに、しわがれた声が滲んだ。
『誠司、あんた今日の内閣ユニット、当たってるよ』
通知を確認する。eペーパー端末を鞄から引っ張り出すと、灰色の画面にじわりと文字が浮かんだ。
──第0x7A2F1内閣ユニット 暫定内閣総理大臣任命通知 小山田誠司殿 任期:00:12:00~00:17:00──
あと九十秒で総理か。モノレールは止まったまま。触覚端末は尻を叩き続けている。
『差分リクエスト、もう来てるわよ』
eペーパーをスクロールすると、今夜の案件が三件。うち一件の件名に目が止まった。
「第14交通ブロック環状モノレール 座席触覚フィードバック系統 振動閾値パラメータ修正(0.03G→0.01G)」
これだ。まさに俺の尻を震わせている故障の修正差分。承認すれば治る。
『党ドクトリンの署名鍵、要るわね』
「うん」
婆ちゃんが署名アルゴリズムの検証を回す。三秒。eペーパーの隅に小さく「検証:適合/ただし鍵空間の82%が既知」と出た。もう形だけだ。みんな知っている。
00:12。任期開始。
俺は差分を承認した。指先がeペーパーの表面を叩くと、端末越しにかすかな振動が返る。承認の触覚フィードバック。そして一拍遅れて、座席の震えが止んだ。
静かだ。蛍光灯もちらつきが収まり、車内が妙に落ち着いた白に満ちた。
『ほら、やればできるじゃない』
婆ちゃんが笑う。ポケベルに「8751」。ハナマル。
モノレールがゆっくり動き出した。どうやら振動系統の異常が運行ロックに引っかかっていたらしい。窓の外を、三月末の夜風が撫でていく。
残りの二件もざっと見た。ひとつは年賀状の規格に関する差分だった。「年賀はがき印刷補助の対象期間を12月1日~1月31日から12月1日~3月31日に延長する件」。三月末まで年賀状。届いた人はどう思うのだろう。
『出しそびれってあるじゃない。あたしも生きてた頃よくやったわ』
「三月末に届く年賀状は、もう年賀状じゃなくない?」
『sincerely(偽寝)、とか書けば季節は問わないのよ』
それは年賀状なのか。婆ちゃんの冗談は生前から寒かった。けれど承認しない理由もない。ドクトリン署名を通す。適合。承認。
00:17。任期終了。
eペーパーに「お疲れさまでした」と一行だけ浮かんで、画面が沈黙した。
モノレールは終点へ向かっている。俺はポケベルをポケットに戻し、触覚の消えた座席に深く座り直した。静かで、平らで、何の感触もない。
さっきまでの不快な振動が、少しだけ恋しかった。あれがあったから、俺はここに座っていると分かったのだ。
窓に映る自分の顔は、三月の終わりにしてはやけに老けて見えた。どこかの誰かが俺宛に書いた年賀状が、この瞬間どこかの仕分け機を通っているのかもしれない。届いたところで返事は出さない。出す相手は、もうポケベルの中にしかいない。