銀色の円盤と、一三時四〇分のクーデター
──平成0x29A年01月04日 13:40
平成〇x二九A年、一月四日。一三時四〇分。
世間的には「仕事始め」というエミュレートされた憂鬱が日本中を覆っている時間帯だ。旧江東エリアの第四物流ハブでは、数千台の物流用群ロボットが、まるで意思を持った銀色の絨毯のように床を滑走している。本来なら整然とした幾何学模様を描くはずの彼らが、今はハブの北西角で奇妙な円陣を組んで停止していた。
「また『党』の優先パケットか。勘弁してくれよ、仕事が進まない」
私は左手首のエッジAI端末を叩いた。端末のホログラムが、配送予定の赤字を無情に投影している。
『航平、焦るな。アルゴリズムが社会安定に最適化した結果だ。お前がイライラしても、ドクトリンの署名は変わらんよ』
耳元で、少しノイズの混じった親父の声がした。佐々木健治。享年四八。二十年前に過労で逝った親父は、今や私の業務補助エージェントだ。物流の現場を知り尽くした、少し口の悪い相棒でもある。
「社会安定って言ったって、このままじゃ一般家庭向けの『お年玉ガジェット』が全部滞留する。親父の時代なら、これ、どうしてた?」
『平成の現場には、マニュアルにない“呼吸”ってのがあったんだ。航平、工具箱の奥にあるアレを出せ』
私は指示通り、デスクの引き出しの奥から一枚のディスクを取り出した。表面にマジックで「パッチ01」と書かれた、今や骨董品に近いCD-Rだ。読み取りドライブに挿入すると、光学ピックアップがキュルキュルと懐かしい悲鳴を上げた。
作業用BGMとして流しているのは、平成の深夜ラジオをAIで無限生成したアーカイブ番組だ。パーソナリティの軽快な下ネタと、リスナーからのハガキ紹介。この「いかにも正月明け」な空気感が、現場の苛立ちをわずかに和らげてくれる。
その時、視界の端でエッジAI端末が激しく明滅した。
【通知:閣議ユニット0x88FFBへのアサイン。第0x402-A内閣総理大臣に選出されました。任期は300秒です】
「げっ、この忙しい時に……」
『運がいいじゃねえか。三〇〇秒だけ、お前がこの国の王様だ』
親父が笑う。目の前に、無数の政策リクエストが滝のように流れ落ちる。「旧皇居周辺の遺伝子濃度維持のための予算配分」「第十二セクターの標準服の襟幅を三ミリ拡張」「党ドクトリンに基づく隣人監視アルゴリズムの強化」。
私はそれらを流し読みしながら、手元のCD-Rから吸い出した非公式プログラムを、ハブの制御系に流し込んだ。これは「党」の優先順位を無視し、現場の物理的な最短距離を最優先させる、いわば現場のクーデターだ。党の署名アルゴリズムが末期症状を起こしている今、こうした「物理的な裏道」は半ば黙認されている。
「親父、パッチ適用した。ロボットたちが動き出したぞ」
『よし、いい手際だ。ついでに総理大臣の権限で、その“差分断片”の承認も済ませちまえ。適当に署名すれば、五分後には誰の責任でもなくなる』
私は無感情に「一括承認」のボタンを押し、最後に残った「深夜ラジオの出力周波数帯域の微調整」という、誰が出したかもわからないリクエストを特に念入りに承認した。
一三時四五分。総理大臣の任期は終了した。群ロボットたちは何事もなかったかのように、お年玉の箱を運んで四散していく。私は、静かになった端末を見つめた。
「なあ、親父」
『なんだ、航平』
「……実はさ、さっきのCD-R。親父の遺品の中にあったやつじゃなくて、俺が自分で焼いたんだ。親父の昔のログを解析して、現場の不備を補うように作った」
エージェントの親父は、一瞬だけ沈黙した。データの処理待ちなのか、それとも人格エミュレーターが「感情」を演算しているのかはわからない。
『……知ってたよ。お前が俺の真似をしてることも、俺がもう教えることなんて何もないってこともな』
ラジオからは、懐かしいJ-POPのイントロが流れ始めた。平成の冬、誰もが口ずさんでいたはずの、けれど今では誰の記憶にもないメロディだ。私は少しだけ照れくさくなり、次の配送コンテナのチェックに取り掛かった。