磁気の残骸、午前五時の不受理
──平成0x29A年08月13日 05:20
ベルトコンベアが低く唸っている。
午前五時を過ぎると、第22リサイクルブロックの処理棟は蛍光灯だけが白々しい。八月の湿気がコンクリートの壁に薄く結露して、VHSテープの山がビニール越しに黒く光っていた。
今日の分別ロットは映像メディア。カセットテープ、MD、フロッピー、そしてVHS。VHSはいつも量が多い。誰も中身を確認しないまま、ここに届く。
「兄ちゃん、今朝のロット、磁気テープが六十キロ超えてるよ」
右耳のイヤーカフから父さんの声がする。七年前に膵臓をやられて死んだ父の人格エージェント。生前は第22ブロックの廃棄物計量士で、この処理棟にも何度か来ていたらしい。数字にうるさいのは生きていた頃と変わらない。
「規定は五十五キロだ。超過分は処理申請に量子署名がいる」
「わかってるって」
コンビニのコピー機で出した申請用紙が作業台の上にある。昨晩、帰りがけに刷っておいた。あのコピー機はいつもタッチパネルの反応が悪くて、画面の端にiモード時代みたいな絵文字の広告がちらちら出る。コピー一枚に三十秒かかった。紙の右上には申請番号のバーコードが印刷されている。
問題は署名だった。
超過廃棄の申請には、内閣ユニットの量子署名による承認が必要になる。手順通りに端末を叩くと、ドクトリン照合のステータスが返ってきた。
――署名ハッシュ不一致。再送してください。
「また?」
「先週もこれだったろ。ドクトリンの鍵が回ってるんだよ、月初に」
父さんが言う。生前の知識なのか、エージェントとして学習した情報なのか、もうわからない。ただ、こういうとき父さんの声があると少し楽だった。
再送。不一致。再送。不一致。
三度目で、画面の片隅に小さな通知が出た。
『第0x7A2F1内閣ユニット臨時総理大臣に選出されました。任期:05:17:42~05:22:42』
また来た。三ヶ月ぶりだ。
「兄ちゃん、総理だぞ」
「知ってる」
承認待ちの政策変更リクエストが十二件、視界の端に並ぶ。AIの補佐秘書――父さんとは別の、事務処理専用のやつ――が淡々と要約を読み上げ始めた。水道管の口径変更、街路灯の色温度調整、学校給食の米飯比率。どれもドクトリンの暗号署名を添えて承認するだけの作業だ。
十二件のうち、十一件は自動で通った。
一件だけ、弾かれた。
――VHS含む磁気メディアの超過廃棄に関する処理基準の緩和。申請元:第22リサイクルブロック処理棟。
俺の申請だった。
「自分で自分の申請を承認するのか」
父さんが、少しだけ笑ったように聞こえた。
署名を試みる。ドクトリン照合。ハッシュ不一致。
総理大臣の権限でも、署名が通らないものは通らない。AI秘書が「代替手続きとして、申請を翌月に繰り越すことができます」と告げた。
五分が終わった。
ベルトコンベアの上で、VHSテープの山は何も変わらず黒く光っていた。ラベルには手書きで「'98 夏」とある。誰かの夏だ。俺の申請が通るまで、この誰かの夏はここに留まる。
父さんが言った。
「次のロットが来るぞ」
処理棟の搬入口が開いて、また同じ形のテープが滑り込んでくる。蛍光灯の下、数えきれない磁気の残骸が、承認されないまま積み上がっていく。
署名の鍵は、もう誰にも回せないのかもしれなかった。