継承される監査コード
──平成0x29A年10月05日 10:00
ベルトコンベアが運ぶ無数の乾電池が、ガシャガシャと耳障りな音を立てていた。
赤、青、黒。色とりどりの円筒が積み上がり、まるで文明の墓標みたいだと、俺はぼんやり思った。
『悟。セクションB-7、リチウムイオン電池の混入率、許容誤差を0.03%超過。ログに記録』
網膜に投影された父さんの声が、思考に割り込んでくる。
俺はこめかみに装着したヘッドセットに意識を集中させ、脳波UIで監査報告書を組み上げた。
「了解。項目404-cに追記…」
思考がそのままテキストに変換されていく。便利だが、息が詰まる。
疲れた、だるい、意味がない。そんな思考の断片すら、監査ログのメタデータとして記録されかねないからだ。
俺の仕事は、リサイクル資源の監査。ここ、旧江東エリアの第7プラントで、延々と続く分別の正しさを検証するだけの毎日。
党ドクトリンとかいう、誰も見たことのない亡霊が遺したアルゴリズムは、社会の安定のために「過剰なまでの正確さ」を求める。その結果が、この乾電池の山と、三百項目を超える監査リストだ。
『次の項目へ。廃プラスチックの熱分解効率、ドクトリン署名との差分を確認しろ』
父さんの声はいつも通り平坦だ。生きていた頃と同じ、仕事一筋の男の声。彼は同じ監査局の役人で、机を並べて働いていた時期もある。過労で倒れる、その日まで。
手元のeペーパー端末に、分厚いマニュアルが表示される。iモードを彷彿とさせる古臭い階層メニューを、ピコピコという操作音とともに指でなぞる。表示されるのは、最新の暗号化された監査基準だ。このちぐはぐさが、俺たちの世界のすべてを物語っていた。
ふと、ヘルメットを被った作業員が、バインダーを抱えて隣のセクションに駆けていくのが見えた。
「回覧板、回しといてください!」
紙の束。システムが不安定な時のための、原始的なバックアップ。
あの紙切れの方が、俺たちが脳波で紡ぐデータより、よほど確かなものに思えた。
その時だった。
『―――次、の、項……サ……』
父さんの声が、ノイズ混じりに途切れた。網膜のAR表示が激しく点滅し、フリーズする。
「父さん? おい、どうした!」
応答がない。処理過多だ。このクソみたいに細かい監査のせいで、エージェントのリソースが食い潰されている。
生身の人間だった父さんも、膨大な書類と終わらない監査の果てに、こうやって動かなくなった。
数秒後、システムが回復する。
『…問題ない。処理を再開する』
「よくないだろ! いつもこうだ。あんたまで、あの時みたいに…」
言葉を切った俺に、父さんは静かに言った。
『悟。今やっている監査項目404-cだが…』
「なんだよ」
『これは…昔、私が作ったものだ』
息が止まった。
お前が今、その正しさを証明するために神経をすり減らしているそのルールは、俺が作ったものなのだ、と。
かつて社会の安定に寄与すると信じて作ったコードが、三十年以上の時を経て、自分の息子と、自分自身のエージェントを縛り付けている。
これほど滑稽で、残酷な話があるだろうか。
俺は脳波UIに意識を戻した。
報告書の末尾に、監査項目形骸化に関する所見を追記しようとする。
――本監査は非効率かつ無意味であり、即時見直しを要請する。
だが、指が動かない。こんな一行、どうせどこかの内閣ユニットで自動的に弾かれるだけだ。
無駄な抵抗は、評価を下げるだけ。
『それでいい』
父さんの声がした。いつもの平坦な声じゃない。生きていた頃、一度だけ聞いたような、疲れ切った、優しい声だった。
『お前の代で、変えろ』
俺は、書きかけた一行を思考の中から消去した。
代わりに、正規の政策変更リクエストを起案するための、新しいウィンドウを開く。膨大で、面倒で、おそらくは誰にも承認されないであろう、長い長い手続きの始まりだった。