巻き戻る観光案内、空中に浮かぶ午後
──平成0x29A年06月13日 14:30
俺は第五地区観光案内所の受付カウンターに座って、来訪者用のVHSテープをデジタルツインの閲覧端末にセットしていた。
「すみません、このテープ、見せてもらえますか?」
若い女性が差し出したのは、ラベルに「平成六年・桜川ダム竣工記念」と手書きされた古い映像メディアだった。彼女の祖母が遺したもので、ダムを見に来たついでに内容を確認したいという。
「少々お待ちください」
俺は耳内のエージェントに声をかけた。
「叔父さん、このテープ、ツイン化できる?」
『ああ、できるよ。ただし劣化が激しい。画質は保証しない』
亡き叔父・正樹は元映像アーキビスト。享年64。生前はこの仕事を手伝ってくれていたが、今はエージェントとして俺の判断を補佐している。
カウンターの上に浮かぶ空中ディスプレイが起動し、iモード風のメニュー画面が展開される。「ツイン変換中…」の文字が点滅し、やがてダムの竣工式典が立体映像で浮かび上がった。
「わあ……」
女性が目を輝かせる。その瞬間、俺のガラケー型端末が震えた。内閣ユニット第0x5A3C番から、政策変更リクエストの承認通知だ。
『観光施設における物理メディア変換サービスの有料化を検討。差分断片ID: #VHS-Tourism-Fee-001』
俺は画面を見つめた。党ドクトリンのアルゴリズム署名欄には、すでに暗号が埋め込まれている。承認すれば、明日からこのサービスは有料になる。
「叔父さん、どう思う?」
『……正直、有料化は妥当だと思う。維持費もかかるしな』
俺はため息をついた。叔父の言う通りだ。だが、目の前の女性は無料だからこそ気軽に立ち寄ったのだろう。
「すみません、もう一本、見せてもらえますか?」
女性が別のVHSテープを取り出す。ラベルには「家族旅行・平成九年」とある。
俺は端末の承認ボタンを押さず、ポケットにしまった。
「もちろんです。何本でもどうぞ」
空中ディスプレイに、家族連れがダムの前で笑う映像が映る。iモード風のメニューが「次の映像を読み込み中…」と表示し、ゆっくりと巻き戻しのような効果音を立てた。
『……承認しなくていいのか?』
叔父の声が耳の奥で問いかける。
「今日だけは、いいんだ」
俺は答えた。
女性が笑顔でテープを見つめている。その横顔に、俺はVHSの磁気テープが擦れる音を重ねた。デジタルツインは完璧に再現するが、あの音だけは再現しない。
カウンターの隅に置かれた古いMDプレーヤーが、誰にも聞こえない音を刻んでいる。