午前二時五十分の電子玉串
──平成0x29A年04月14日 02:50
午前二時五十分。底冷えのする社務所の片隅で、俺はプラスチック製の電子玉串から古い電池をほじくり出していた。
「またそれ? いい加減、ワイヤレス充電のやつに申請出しなよ」
網膜投影の視界の隅で、妹の咲が呆れたように息を吐く。白血病で十九の春に逝ってしまった彼女の人格ログは、近親人格エージェントとなってからも、こうして事あるごとに俺の世話を焼いている。
「党ドクトリンのアルゴリズムが、この儀礼所にはこれが最適だって判断してるんだよ」
俺は予備の充電式NiMHを二本、玉串の裏蓋に押し込んだ。カチリと小気味よい音がして、柄の部分にある小さな液晶パネルに『奉納可能』の緑文字がドット絵で点灯する。
窓の外を、深夜便の自律型バスがモーター音を響かせて通り過ぎていった。誰も乗っていない四角い車体が、旧県道の濡れたアスファルトを滑っていく。
不意に、本殿の奥に鎮座するルーター――もとい、ご神体から、微細なノイズ音が漏れ出した。チリチリとした、静電気のような音だ。
『第0x14A内閣ユニットからの差分通知です』
卓上のスピーカーから、汎用AI秘書の無機質な音声が流れる。咲の流暢な声とは違う、いかにも一昔前の合成音声だ。
『国民遺伝子ネットワーク・ローカルノードにて微細な異常を検知。皇室遺伝子の伝播配列に不整合が生じています。自動修復を実行します』
誰もが薄く広く共有している皇室遺伝子。それは今の日本において、天皇制という概念をネットワーク上のハッシュ値として辛うじて繋ぎ止めているだけの代物だ。普段の生活で意識することなど皆無に等しい。だが、俺たち夜間奉仕員は、こうして時折発生するノイズの監視を命じられている。
「……またエラーか。最近多いな」
俺は祭壇の脇にある端末を操作し、修復の承認ボタンを叩いた。数秒のラグの後、ご神体のランプが正常の青に戻る。
「お疲れ様。これで今夜の当番は終わりだね」
咲の労いの言葉を聞きながら、俺は社務所の隅にある旧式の記帳機に向かった。奉仕手当の記録を残すには、なぜかこの物理的な「通帳」に印字しなければならない。これも平成エミュの謎ルールの一つだ。
磁気ストライプを読み込ませると、ジジジジ、と鈍い音を立てて印字が始まった。
「ねえ、お兄ちゃん」
ふと、咲の声のトーンが変わった。
「さっきの自動修復の差分ログ、ちょっと覗いてみたんだけど……」
「ん? 何かおかしいか?」
「不整合を直したんじゃないみたい。ネットワークから、特定の遺伝子IDを一つ『完全消去』して、全体の辻褄を合わせた痕跡があるよ」
記帳機から吐き出された通帳を手に取る。
日付は『04-14』。その横に印字された俺の口座名義『ミワ マコト』の文字が、なぜか真っ黒なインクのバグで塗りつぶされていた。
俺は自分の手の甲を見つめた。心なしか、指先の輪郭が夜の闇に溶け出しているように見えた。