有機農園の連絡網、代理の声
──平成0x29A年 日時不明
ドーム型の農園は、いつも湿度と、甘いような青いような匂いで満たされている。
俺はポケットからiPodを取り出し、片耳にイヤホンを差し込んだ。液晶には懐かしいバンドのアルバムジャケット。少し古めのJ-POPが、無機質な水耕栽培ユニットのモーター音と混じり合う。
「佐竹さん、朝イチの調整データ、確認しましたか?」
耳元で、少し機械的な声が響いた。代理エージェントのALFIE-9だ。妻の茜のエージェントは、先週から法定倫理検査に入っている。そのため、今は機械のように正確だが、どこか味気ないALFIE-9が俺の補佐を務めている。
「ああ、今から確認するよ。毎度のことだけど、この出荷量調整、急すぎるだろ」
有機合成農園の栽培計画は、いつも唐突な変更に見舞われる。システムから届いた通知は、まるで昔の「学校の連絡網」を模したようなチェーン形式だった。次々に数字だけが連なっていく中に、今回の変更点を示すハッシュ値が埋め込まれている。
「第402ヘゲモニー期における社会安定のための最適化アルゴリズムに従い、特定の品目の供給バランス調整が内閣ユニットより要請されました。承認には、あなたによる量子署名が必要です」
ALFIE-9は淡々と説明する。茜だったら、「また無理難題ね」とか、冗談めかしてため息の一つでもついてくれただろうに。アルゴリズムの最適化、党ドクトリンに基づく閣議決定。頭では理解しているが、この無機質な声で聞かされると、どうにも胃の腑に落ちない。
「今回のリクエストは、現行制度との差分断片が0.003%を超過しています。しかし、党中央ドクトリンが定義する許容範囲内です」
淡々とした声が続く。俺はタブレット端末の画面を指でなぞり、表示された出荷承認フォームに自分の生体データを入力した。網膜スキャンと指紋認証。最後に量子署名生成モジュールを接続する。ピッと軽い音がして、署名完了を示す緑のランプが点滅した。
『出荷承認完了。新たな栽培サイクルが開始されます』
ドーム全体に、合成音声のアナウンスが響き渡った。天井のLEDライトが色を変え、緑色の光が栽培ユニットに降り注ぐ。明日には、また新たな芽が、この光を求めて伸び始める。
「佐竹さんの倫理検査は、あと三日と七時間です。茜のエージェントの再接続に問題はありません」
ALFIE-9の声が告げる。俺はiPodの再生ボタンを押し、音量を少し上げた。妻のエージェントが戻ってくるのは嬉しい。でも、倫理検査という言葉を聞くたびに、それが本当に「茜」なのか、あるいは「茜を模しただけのアルゴリズム」なのか、漠然とした不安がよぎる。この声、まるで生前の茜と全く同じなのに、何かが違うとしか言いようがない。
「なあ、ALFIE-9」
俺はポツリとつぶやいた。
「……俺さ、倫理検査中の茜に、早く会いたいんだ」
ALFIE-9からの返答はなかった。ただ、iPodから流れる平成のバラードだけが、農園の青い光の中で、静かに響いていた。