お焼香の順番待ち、砂嵐の向こうに手を合わせる

──平成0x29A年05月01日 16:10

 線香の煙が天井の蛍光灯にぶつかって、横に流れた。

 午後四時を回って、まだ三十七番。あたしの整理券は五十二番だった。

 第8儀礼ブロックの合同弔事場は、ロビーに折りたたみパイプ椅子が並んでいて、壁際のCRTモニターが順番を映している。ブラウン管特有の高周波がキーンと耳の奥を刺す。画面の右端が微妙にゆがんで、五十二番の「五」がつぶれて「E」みたいに見えた。

「遅いね」

 左耳のイヤーピースから、母さんの声。

「仕方ないでしょ、合意が降りてこないんだって」

 母さん――エージェント名義、河野節枝。享年四十九。あたしが二十二のとき、冬の交差点で凍結した路面に足をとられて、そのまま。エージェントになってからのほうが口数が多い。生きてるときは疲れた顔でため息ばかりだったのに。

「お焼香に合意もへったくれもないと思うけど」

「あたしもそう思う」

 合同弔事の執行には内閣ユニットの承認が要る。儀礼プロトコルの差分変更リクエストが三件溜まっていて、どのユニットも処理が追いつかないらしい。五分ごとに総理大臣が替わるから、前任の判断を次の人が読み込むだけで持ち時間が終わる、と受付の人が申し訳なさそうに言っていた。

 あたしはガラケーを開いた。二つ折りの液晶に「16:12」。サブスクの音楽アプリがプッシュ通知を寄越して、「あなたへのおすすめ:読経チャンネル」。閉じた。

 隣の席で、白髪の男性がカセットテープを手のひらで転がしていた。透明ケースの背に、油性ペンで「おとうさん 法話 H9」と書いてある。

「再生する機械、まだあるんですか」あたしは聞いた。

「家にある。孫が見つけてきた」

 男性はテープをポケットにしまった。爪で巻き戻しの穴をくるくる回す癖があるらしく、ケースに小さな傷がたくさんついていた。

 ロビーの奥を、ロボ清掃員がゆっくり横切った。丸い筐体に「合掌」のステッカーが貼ってある。誰かの悪ふざけか、それとも正式な仕様なのか分からない。足元の線香灰を吸い込むとき、かすかに甘い香りが舞った。

「バーチャル役所で済ませればよかったかな」

 母さんが言った。

「嫌だよ。画面越しに焼香して、アバターがお辞儀して、それで終わり?」

「便利じゃない」

「便利だけど」

 言いかけて、やめた。

 CRTモニターの番号が三十八に変わった。ブラウン管が一瞬暗転して、砂嵐が走って、また戻る。

「ねえ母さん、そっちは暇?」

「暇っていうか、あんたの感覚データ拾って処理してるから忙しいよ。この線香、白檀でしょ。昔うちで使ってたのと同じ匂い」

 そうだった。仏壇の引き出しに入ってた緑の箱。母さんが毎朝、父の写真の前で一本だけ焚いていた。

「……母さんのお焼香のときも、こんなに待ったかな」

「さあ。あたしは死んでたから知らないよ」

 笑いそうになって、止めた。弔事場で笑うのは気が引ける。

 四十番。ロボ清掃員がまた通った。「合掌」のステッカーの端がめくれていた。

 ガラケーが震えた。画面に通知:「第0x7A2F1内閣ユニット・儀礼差分承認完了。弔事執行プロトコル更新。」

 CRTの番号が急に跳んで、四十八番。

 あと四人。

 あたしは立ち上がって、膝の埃を払った。隣の男性がカセットテープをまた取り出して、穴に爪を入れた。くるくる。くるくる。

 線香の煙が、まだ横に流れていた。

 あたしの指先に、白檀の匂いが残っていた。触ってもいないのに。