プリクラの中の祖母、バス停の外の朝

──平成0x29A年01月30日 07:20

 折りたたみ携帯が枕元で震えて、私は目を開けた。

 画面の外側ディスプレイに「06:58」。アラームより二十二分早い。着信ではなく、施設のシフト管理からのショートメール。「本日07:20より3F記憶ケアユニット、担当変更あり。確認次第返信」。

 返信ボタンを押して「了解」とだけ打つ。予測変換が「了解しました」「了解です」と続くのを無視して送信した。

 歯を磨きながら、右耳の奥でおばあちゃんの声がする。

 「朝ごはんは」

 「コンビニで買う」

 「おにぎりだけはやめなさいよ」

 宮原スミ。享年八十一、誤嚥性肺炎。私の父方の祖母で、私のエージェント。生前と同じように、食事にだけはうるさい。

 ただ最近、少しおかしい。

 昨日の夜勤明け、スミさんは私に「お父さん、学校はどうだった」と訊いた。お父さん。私は宮原真帆、二十六歳、介護福祉士だ。父ではない。すぐに「ああ、真帆ね、ごめんなさいね」と笑って訂正したけれど、ここ二週間で三度目だった。

 人格ゆらぎ。同僚の間では「ドリフト」と呼ばれている。長く使われたエージェントの近親人格が、記憶の階層を滑り落ちていく現象。正式には法定倫理検査で検出されるはずだけど、スミさんの次回検査は三ヶ月先だ。

 施設までは自律型バスで十二分。バス停のベンチに座ると、隣にプリクラ機がある。商店街の空き店舗の軒先に、もう何年も前から置かれたまま動いているやつ。筐体の側面に「超プリ! 激盛れフレーム200種」と書いてあるが、タッチパネルの右下が焼けて黒い。それでも朝の光の中で待機画面がぐるぐる回っていて、誰も撮らないのに電気だけ食っている。

 バスが来た。座席に着くとスミさんが囁く。

 「真帆、あのプリクラ、まだあるの」

 「うん、まだある」

 「あんたと撮ったねえ、小さい頃」

 撮った記憶はある。フレームを選んで、落書きペンで星を描いて。でもそのシールはもうどこにもない。分散ストレージにも残っていない。施設の記憶ケアで学んだことだが、デジタル化以前の紙の記録は、ストレージの保持優先度が最低に設定されている。党ドクトリンの署名アルゴリズムが「保存コスト対効用比」で自動判定した結果だと、去年の研修で聞いた。半ば解読されたアルゴリズムの、それでもまだ生きている部分。

 施設に着く。三階の記憶ケアユニットに入ると、入居者の岸本さんが窓際でラジオ体操の音楽に合わせて腕を回している。私は端末で本日の担当リストを確認する。

 「真帆」とスミさんが言った。

 「なに」

 「今日はね、お父さんのお弁当に卵焼き入れたから」

 私は手を止めた。

 岸本さんがこちらを見て、にこっと笑った。何も聞こえていないはずなのに。

 「……スミさん」

 「なあに」

 「私だよ。真帆」

 三秒ほどの沈黙のあと、祖母の声が小さく笑った。

 「わかってるわよ。わかってる」

 わかっている、という言葉が、今の彼女にとってどの階層から出てきたものなのか、私には判定できない。倫理検査官でもない。ただの介護福祉士だ。

 でも思った。ここの入居者たちも同じなのだ。記憶が滑って、時間の層がずれて、それでも「わかっている」と笑う。私が毎日ケアしているのは、その笑顔の手前にある数秒の空白のほうだ。

 折りたたみ携帯をポケットにしまった。画面の外側ディスプレイに、施設のシフト確認完了の通知が一行だけ光っていた。