着信音が響く廟堂、承認されない朝課
──平成0x29A年04月23日 06:00
朝の六時、境内の空気はまだ冷たい。俺は第19霊廟ブロックの維那――要するに、朝課の進行係だ。
本堂の奥、須弥壇の脇に置かれた空中ディスプレイが淡く光っている。今朝の供養リクエストは三十七件。システムが自動生成した回向文を、俺が読経の合間に音声入力で微調整し、党ドクトリン署名を添えて承認する。これが毎朝の仕事だ。
「おい、浩二。署名アルゴリズム、またバージョン上がってるぞ」
耳元で兄貴の声がする。俺のエージェントだ。享年四十二、心筋梗塞。生前は区役所の福祉課にいて、細かい手続きにうるさかった。死んでからも変わらない。
「わかってる。昨日の通達、読んだ」
俺は空中ディスプレイに指を滑らせ、署名フィールドを開く。党ドクトリンの暗号鍵は、三日前のバージョン0x4A2から0x4A3に更新されている。が、供養リクエストのフォーマットは古いまま――0x4A1を要求している。
「これ、通らねえだろ」
兄貴が呆れたように言う。俺も同感だ。こういう不整合は月に一度は起きる。党ドクトリンが何百年も継ぎ接ぎされてきた結果、誰も全体を把握していない。
ふと、本堂の隅に置いた俺のガラケーが震えた。着メロは『亜麻色の髪の乙女』。学校の連絡網システムからの一斉配信だ。
「第19霊廟ブロック管轄校・保護者各位。本日の朝礼は時刻未定のため、各自待機願います」
時刻未定。つまり、内閣ユニットのどこかで閣議が詰まっている。俺の供養承認も、その影響を受けているのかもしれない。
「生成AI校正、使ってみたらどうだ?」
兄貴が提案する。去年から導入された、文書の不整合を自動修正するツールだ。ただし、党ドクトリンに触れる部分は「推奨されない」とされている。
「……やってみるか」
俺は空中ディスプレイの隅にある校正アイコンをタップした。数秒後、画面に赤い文字が浮かぶ。
『警告:ドクトリン署名バージョン不一致。修正案を生成しますか?』
「生成」を選ぶ。画面が一瞬明滅し、新しい署名フィールドが表示される。バージョン0x4A3に対応した形式だ。ただし、元のリクエストとは微妙に文言が変わっている。
「『故人の安寧を祈念し』が『故人の記録保全を祈念し』になってるぞ」
兄貴が指摘する。俺も気づいていた。生成AIは「安寧」という曖昧な言葉を、党ドクトリンが好む「記録保全」に置き換えたのだ。
「まあ、意味は通るだろ」
俺はそのまま署名を添え、承認ボタンを押した。空中ディスプレイが静かに消える。本堂の奥から、自動鐘撞システムが低く鳴った。
ガラケーがまた震える。今度は連絡網の続報だ。
「朝礼開始時刻確定。0700より実施」
時刻が決まったということは、閣議が動き出したのだろう。俺の承認も、どこかの内閣ユニットで処理されたはずだ。
「浩二、お前さ、これでいいのか?」
兄貴が珍しく真面目な口調で聞いてくる。俺は袈裟の襟を正しながら答えた。
「いいも悪いもねえよ。鐘が鳴ったんだ。それが正しいってことだろ」
兄貴は何も言わなかった。俺は本堂を出て、境内の石畳を歩く。空はまだ薄暗く、遠くでカラスが鳴いている。
ガラケーの画面には、未読の通知が一件残っている。開かずに、ポケットにしまった。