群れは夜明けに迷う
──平成0x29A年10月26日 10:20
俺の仕事は、物流用群ロボットの深夜補給だ。
旧江東区の配送センター。午前二時から六時まで、三百台の小型ロボットが充電ステーションに戻ってくる。俺はそいつらのバッテリーと荷台を点検し、翌朝の配達ルートを承認する。単純作業だが、生体認証がないと端末に触れない。指紋と虹彩、両方だ。
「兄貴、今日は折込チラシが多いな」
耳の奥で、弟の声がする。
享年二十一。バイク便の配達中、交差点で大型トラックに巻き込まれた。俺の近親人格エージェントは、生前と同じように気さくで、少しだけ間の抜けた口調で喋る。
「ああ。スーパーの特売日だ」
画面には、明日配達予定の荷物リストが並んでいる。その八割が紙のチラシだ。スーパー、ドラッグストア、家電量販店。平成エミュの影響で、未だに紙媒体の広告が主流らしい。デジタルで済ませればいいのに、と思うが、誰も文句を言わない。
俺は端末に指を当て、ルートを承認する。群ロボットが一斉に起動音を立てた。
「なあ兄貴、深夜ラジオ聴いてる?」
弟が唐突に言う。
「聴いてない」
「今、面白いよ。第0x4A3内閣ユニットの総理が出てる」
俺は作業の手を止め、端末の隅にあるラジオアプリを起動した。ノイズ混じりの音声が流れてくる。
『——えー、皆さんこんばんは。第0x4A3内閣ユニット、第二百十七代総理大臣です。任期はあと三分ですが、せっかくなので所信表明を——』
声は若い女性だ。笑いを堪えているような口調で、政策の話を始める。物流システムの効率化、配送ロボットの自律性向上、そして——。
『——折込チラシの廃止を提案します』
俺は思わず端末を見た。
「マジか」
弟が呟く。
『紙媒体の配送は非効率的です。デジタル配信に一本化すれば、物流コストは三割削減できます。党ドクトリンの署名アルゴリズムは——ああ、もう解読されてますよね。皆さんご存知の通り、承認は形だけです』
ラジオの向こうで、軽い笑い声が漏れる。
『では、閣議決定します。折込チラシ配送の段階的廃止。署名完了。ありがとうございました。任期終了まであと一分——』
俺の端末が、突然警告音を発した。
画面に赤い文字が浮かぶ。「承認済みルートに変更が発生しました。再認証が必要です」
「おいおい、マジかよ」
俺は再び生体認証を通す。指紋、虹彩。画面が切り替わり、新しい配送リストが表示される。折込チラシの項目が、ごっそり消えていた。
「兄貴、これ……」
「ああ。本当に通ったらしい」
群ロボットが再起動し、ルートを再計算している。荷台から紙束が自動で排出され、センターの隅に積まれていく。明日の朝、誰かが回収するのだろう。
俺はラジオを消し、深夜の配送センターを見渡した。三百台のロボットが静かに列を成している。
「なあ、兄貴」
弟が言う。
「なんだ」
「俺が死んだ日も、チラシ配ってたんだ」
俺は黙った。
「スーパーの特売、火曜日は卵が安いってやつ。バイク便で配ってた」
弟の声は、いつもより少しだけ静かだった。
「……そうだったな」
「もう、配らなくていいんだな」
俺は端末を閉じ、群ロボットの列を眺めた。夜明け前の静けさの中で、小さな機械たちが次の指示を待っている。
「ああ。もう、配らなくていい」
弟は何も言わなかった。
俺もそれ以上、何も言わなかった。