銀色の円盤、途切れる伝言
──平成0x29A年11月07日 20:00
平成0x29A年11月07日、20時00分。二十世紀なら「ゴールデンタイム」と呼ばれた時間帯、俺は第14資源循環区の集積所で、触覚フィードバック端末の感度を『粗目』に設定していた。
「おい、慎平。左のコンテナだ。また『平成不全』の家電が混じってるぞ」
視界の端で、兄貴のホログラムが煙草を吸う仕草をした。真島航。十年前、首都高を模した高架道でバイクを滑らせて死んだ俺の兄だ。エージェントとなった兄貴の言葉に従い、俺は山積みの不燃ごみから、一台のスマート冷蔵庫を引きずり出した。
冷蔵庫の液晶パネルには、懐かしいドコモの絵文字が点滅している。そして内蔵スピーカーからは、ノイズ混じりの合成音声が流れていた。
『……次は、田中さんです。明日の運動会は、雨天のため延期となりました。お弁当は必要ありません。次の、佐藤さんへ回してください……』
「学校の連絡網か。懐かしいな。俺たちの頃はもうスマホだったけど、エミュレータが参照してる基データが古すぎるんだよ」
兄貴が呆れたように笑う。この冷蔵庫は、本来なら庫内の食材を自動発注するスマート家電のはずだった。だが、社会を覆う「平成ドクトリン」のアルゴリズムが末期的なバグを起こし、インフラの端々でこうした先祖返りが起きている。
俺はグローブ越しに、冷蔵庫の側面に触れた。触覚フィードバックが、コンプレッサーの不規則な震えを伝えてくる。冷却機能は死んでいた。代わりに、存在しない「昭和から平成初期の記憶」を、連絡網として再生し続けている。
足元には、スピンドルケースからぶちまけられたCD-Rが散らばっていた。太陽誘電のロゴ。マジックで書かれた『2004年 卒業式』や『J-POP詰め合わせ』の文字。これらもまた、今の暗号化連鎖システム(ブロックチェーン)では読み取ることすらできない、銀色の墓標だ。
「慎平、通知だ。第802内閣ユニットからリクエストが来てるぞ」
兄貴の指示で、空中に操作画面を展開する。五分間だけ総理大臣に選ばれた誰かが、この地区の『廃棄物処理アルゴリズムの優先度変更』を閣議決定しようとしていた。党ドクトリンに基づく署名が必要だ。俺のエージェント補佐画面には、「承認」の二文字が白く光っている。
「どうする、兄貴。これ承認したら、この冷蔵庫みたいな『思い出のバグ』も全部、即座に分子分解されることになるぜ」
「いいんじゃねえか。冷えない冷蔵庫はただの箱だ。それに、連絡網の続きなんて誰も待ってやしない」
俺は指先で「承認」をタップした。触覚端末が、かすかな電子的な反動を返してくる。この五分間の総理大臣が誰かは知らないが、彼、あるいは彼女も、今の俺と同じように、どこかで壊れたスマート家電の音を聞いているのかもしれない。
目の前の冷蔵庫が、最後の音声を絞り出した。
『……お伝えしました。以上です。ガチャ……』
通信が切れる音。同時に液晶が消え、ただの白い金属塊に戻る。俺はそれを淡々と、巨大なプレス機へと押し込んだ。
「さて、次はCD-Rの山だ」
「ああ。全部まとめて、光の塵にしてやろうぜ」
兄貴の声は、どこか遠い空のネットワークへと溶けていくようだった。十一月の夜風が、エミュレートされた東京の街を冷たく通り抜けていった。