代理の声、閉店後の棚卸し
──平成0x29A年07月18日 23:00
俺が深夜のコンビニで棚卸しを始めたのは、二十三時を少し回った頃だった。
「お疲れさま。今夜も静かね」
耳元で響くのは、代理エージェントの機械的な声だ。姉の倫理検査が始まって二週間。いつもの柔らかい口調は消え、無機質な音声合成に置き換わっている。
「ああ」
短く答えて、俺は賞味期限の迫った弁当を抜き出していく。店内には深夜ラジオが流れている。パーソナリティの声が、九十年代のヒット曲を紹介しながら笑っている。この時間帯の客は少ない。自動運転シャトルの終便が過ぎれば、ほとんど誰も来ない。
レジ端末がピンと鳴った。サブスク決済の自動更新通知だ。俺のじゃない。店舗の契約管理システムの更新らしい。画面には「平成的UIエミュレート維持費」と表示されている。iモード風のアイコンが並ぶインターフェースを保つための費用だ。
「篠崎さん、倫理検査の進捗通知が届いています」
代理エージェントが淡々と告げる。姉の名前は出さない。個人情報保護規定に準拠しているからだ。
「内容は?」
「第二段階クリア。残り推定九日」
姉が戻ってくるまで、あと九日。俺は棚の奥からカップ麺を引っ張り出しながら、ため息をついた。倫理検査というのは、エージェント化された人格が「現行法規範と乖離していないか」を調べる手続きだ。姉は生前、ずいぶん自由な人だった。その記憶や価値観が、今のシステムに適合しているかどうか、精査されている。
「お客様です」
代理エージェントが告げる。ドアが開き、中年の男性が入ってきた。作業着を着ている。深夜シフトの工場勤務か。男は缶コーヒーを手に取り、レジに向かった。
「いらっしゃいませ」
俺は棚卸しの手を止めて、レジに立つ。男は無言で電話帳を取り出し、ページをめくり始めた。電話帳。今どき珍しい。平成エミュの影響で、紙の電話帳が再配布されているが、実際に使っている人間は少ない。
「あの、お会計は?」
「ああ、すまん。ちょっと待ってくれ」
男は電話帳から顔を上げず、指で何かを探している。俺は待った。深夜ラジオが、リスナーからのメッセージを読み上げている。「今夜も一人で頑張っています」という声に、パーソナリティが優しく応える。
「見つかった。ありがとう」
男は電話帳を閉じ、缶コーヒーの代金を支払った。サブスク決済ではなく、現金だった。釣り銭を渡すと、男は頷いて店を出て行った。
再び静けさが戻る。俺は棚卸しを再開した。賞味期限切れの商品を廃棄リストに記録していく。代理エージェントが、淡々と在庫数を読み上げる。姉なら、ここで「そんなに捨てるの? もったいないわね」と言っただろう。でも今は何も言わない。
「篠崎さん、追加通知です」
「何だ?」
「倫理検査、第三段階に進行しました。推定残り日数、四日に短縮」
俺は手を止めた。四日。思ったより早い。姉が戻ってくる。あの柔らかい声が、また耳元で響く。
「了解」
短く答えて、俺は棚卸しを続けた。深夜ラジオが、次の曲を流し始める。二千年代のポップスだ。懐かしいというより、妙に新鮮に聞こえる。平成エミュの混線が、時代を曖昧にしている。
レジ端末が再びピンと鳴った。今度は、店舗システムの定期メンテナンス完了通知だ。画面には「平成的接客スクリプト更新完了」と表示されている。俺は画面を閉じた。
四日後、姉が戻ってくる。その時、俺は何を話せばいいんだろう。倫理検査を通過した姉は、以前と同じなのか。それとも、少し違うのか。
深夜ラジオのパーソナリティが、笑いながら言った。「明日も、頑張りましょうね」
俺は棚の前に立ち、小さく頷いた。