深夜一時のレトロ館、電池だけが生きている
──平成0x29A年12月10日 01:10
平成0x29A年12月10日 01:10。
私は第4娯楽ブロックの小さな「レトロ館」で、映写と小道具の当番をしている。閉館後のはずの時間だが、館内は薄い灯りと、床に落ちる音楽の残響でまだ起きていた。スクリーン横のホログラム掲示が、ぼんやりと「本日の上映:平成スペシャル/MD持ち込み可」と揺れている。下には小さく「※MDはストリーミング同期できません」と、誰も読まない注意書き。
「おい、電池」
耳の奥で、父の声がした。私のエージェント——父・一ノ瀬修二(享年58、心筋梗塞)——は、生前と同じ調子で指示を出す。
「わかってる」
私はカウンター下のプラ箱を引きずり出した。乾電池の山。単三、単四、角形、メーカーも年代もバラバラで、いくつかはラベルが擦れて無地の銀になっている。ここでは電池が通貨みたいに回る。上映の投票券、貸し出しの保証金、スタッフへの差し入れ。
父が笑う。「昔のパチ屋と同じだ。景品が景品を呼ぶ」
今夜の客は二十人ほど。みんな終電のない街を、眠れないまま回遊してきた顔をしている。入口の公共ARサインが、通りに向けて「深夜割:電池三本で一枠」と点滅していた。行政のサインだ。勝手に差し込まれる。許可も取らず、規格だけ整っている。
「また出てるな、その看板」
私はサインの設定を開こうとして、手が止まった。オーナーからの非公式ルールを思い出す。
——公共ARサインは触るな。触った奴が“差分”の責任者になる。
だから私は、見なかったことにして客を通す。
問題は、次の上映枠の抽選だった。
投票はアプリでもできるはずだが、ここではポケベルが優先される。カウンターに置いた透明ケースの中で、古いポケベルがぷるぷる震えていた。番号は「184」。非通知拒否の名残みたいな数字だ。
「鳴ったら、その番号の人が選べる」
父が言う。これは館内の“掟”。暗号化された連鎖の統治よりも、ここの掟が先に来る。
ポケベルが震え、表示が流れた。
『402-08 01:10 きみ 5ふん そうり』
客の中から、眠そうな若い女が手を挙げた。「え、私?」
彼女の耳にも、たぶん誰かがいるのだろう。彼女は一瞬だけ遠くを見る顔をして、それから私にスマホを突き出した。平成っぽいiモード風のUIの上に、ARで赤い印鑑マークが浮いている。
「これ……内閣ユニットの通知です。第0x……読めない。五分だけ総理って」
父が舌打ちする。「こんな時間に当てるなよ。遊び場に」
私は笑ってごまかすしかない。「うち、娯楽だから」
彼女は戸惑いながらも、ホログラム掲示を見上げた。上映候補が三つ並ぶ。
A:『踊る大捜査線(再々々編集版)』
B:『平成アイドル紅白(VR復刻)』
C:『ニュース連鎖:今夜の差分を読む』
客はCにブーイングし、AとBで割れている。私は乾電池の山から、三本を客に見せた。
「投票は電池で。規格は単三。……ただし」
私は声を落とした。「この館の非公式ルールで、ポケベルが鳴った人が最後に決めます」
若い女は眉をひそめた。「でも、私は今、総理で……」
「総理でも、ここでは最後に決めるのは“鳴った人”です」
父が得意げに言う。「古い作法だ。平成のな」
客たちは笑い、乾電池をケースに落とした。カラカラと軽い音がして、山が少し崩れる。
その間にも、公共ARサインが勝手に更新されていく。
『深夜割:電池二本で一枠(党ドクトリン準拠)』
「……減った?」
私が言うと、父が低く唸った。「党の署名が要るはずだろ。誰が勝手に」
彼女のスマホが再び震えた。画面に、短い政策変更リクエストが表示される。
『娯楽施設における深夜料金の安定化:乾電池指数に連動』
承認/非承認。
彼女は息をのんだ。「これ、私が決めるんですか」
客たちの視線が一斉に彼女へ集まった。だがその空気の重さは、政治の重さじゃない。今夜どれを見るか、という軽さで出来ている。
「ねえ総理、Bにして」
「いやAだろ」
「Cはやめろ」
私はカウンターの下で、乾電池の山をもう一度撫でた。手に付く金属の冷たさ。電池だけが、ここでは嘘をつかない。
「承認すると、看板の値引きが固定される。非承認だと……たぶん、また勝手に書き換わる」
父が言う。「どっちでも同じだ。末期ってやつだ」
若い女は、ポケベルを見た。まだ表示は『きみ 5ふん そうり』のまま。
「じゃあ……」
彼女はスマホで“承認”を押した。指先が震えていた。
その瞬間、公共ARサインが派手に光って、通りに向けて宣言した。
『深夜割:乾電池一山で貸切(皇室遺伝子ネットワーク協賛)』
客がどっと笑った。私も笑った。協賛なんて言葉は久しぶりだ。誰が協賛してるのか、誰も知らないのに。
ホログラム掲示の上映候補が、勝手にDを増やした。
D:『総理が決める館内ルール(上映ではありません)』
若い女が真っ赤になって私を見た。「私、変なボタン押しました?」
私は首を振った。「ちゃんと“承認”でした」
父が、やけに優しい声で言う。「おめでとう。お前、五分の間に娯楽の法律だけは作れたぞ」
私はカウンターの端に積んだ乾電池の山を見た。値引きが一山になったせいで、客は誰も電池を出さなくなり、代わりにみんなポケットの中を探り始めた。
ほどなくして、カチ、カチ、と小さな音があちこちから聞こえた。
古いポケベルが、次々にカウンターへ置かれていく音だった。
私は笑いが止まらなかった。
電池が通貨の館で、党ドクトリン準拠の値引きが“電池一山”になった結果、ここで一番増えたのは——乾電池じゃなくて、ポケベルだった。