120分テープの余白に、消えた戦績
──平成0x29A年02月28日 15:40
平成0x29A年2月28日、午後3時40分。
旧中野エリアの一角にあるゲームセンター『ハイテクランド・ナカノ』の店内には、エミュレートされた煙草の匂いと、16ビットの電子音が霧のように立ち込めていた。
「兄貴、また第402ヘゲモニー期のアップデート。さっきからデジタル円ウォレットの決済が通りにくいよ」
耳の奥で、妹の莉子が呆れたように言った。彼女は三年前、十九歳で逝った。今は俺のパーソナル・エージェントとして、視界の端に半透明のセーラー服姿で座っている。
「党ドクトリンのアルゴリズムが、署名の整合性をチェックしてるんだろ。毎度のことだ」
俺は共有型バッテリーから充電ケーブルを引き抜き、自分の情報端末に差し込んだ。筐体のメンテナンスには、この不安定な電力が欠かせない。二十一世紀初頭を模したこの店では、電力さえも「不便さ」を演出する装置の一部だ。
店の奥にある対戦格闘ゲームの筐体前で、一人の客が苛立ったようにボタンを叩いていた。彼は磁気定期券をカードリーダーに何度も通している。この店では、入店証兼スコア保存用として、かつての鉄道用磁気券を再利用しているのだ。
「店員さん、同期エラーだ。昨日まで積み上げた連勝記録が、反映されないんだけど」
俺は腰の工具袋から、黒いプラスチックの塊を取り出した。カセットテープだ。かつての記録媒体だが、今では党ドクトリンのアルゴリズムから一時的にデータを隔離するための「物理バッファ」として重宝されている。
「ちょっと見ますね。莉子、再同期のパスを探してくれ」
「了解。……あー、これダメだわ。さっきの内閣ユニット第0x1F2A閣議決定の差分断片。社会安定化のために『個人の過剰な達成感の抑制』って項目が署名されちゃってる。今の五分間総理、よっぽど機嫌が悪かったみたい」
莉子の声には、諦めが混じっていた。アルゴリズムが「社会に不要」と判断したデータは、非承認の暗号に包まれて消滅する。それが、この時代の統治の形だ。
俺は筐体の裏側にカセットテープを差し込み、手動でデータの復元を試みた。キュルキュルという物理的な巻き戻し音が、デジタル円の決済完了音と重なる。ブラウン管の画面が激しく揺れ、砂嵐の粒子が舞った。
「……無理ですね。ドクトリンの署名が解読できません。あなたの昨日の記録は、社会的なノイズとして処理されました」
客は、拍子抜けしたような顔で俺を見た。怒り狂うかと思いきや、彼は深いため息をつき、磁気定期券をポケットに収めた。
「そっか。まあ、平成ってのはそういう理不尽なもんだったよな」
客は自嘲気味に笑い、共有型バッテリーの返却口に空のユニットを戻すと、そのまま自動ドアの向こうへ消えていった。
店内には、再びループするBGMだけが残った。莉子が俺の肩に、実体のない手を置いた。
「兄貴もさ、あんまり根を詰めないでよ。消えたデータは、最初からなかったのと同じなんだから」
「そうだな。莉子が消えなかっただけ、マシか」
俺はカセットテープを抜き取り、鉛筆でテープのたるみを巻き戻した。窓の外では、薄く伝播した皇室遺伝子ネットワークの同期を示す淡い光が、東京の空をゆっくりと流れていた。