テープが回る、昼下がりの不在

──平成0x29A年03月03日 12:10

俺は公園のベンチで、古いカセットテープを指で回していた。

第8公共空間維持ブロック、管理見回り係。午前中は遊具の点検、午後は巡回記録の手書き転記。平成0x29A年三月三日、昼過ぎ。風は冷たいが、陽射しは春めいている。

「隆、その巻き方じゃ磁気が偏るぞ」

耳元で兄貴の声がした。エージェント、坂上 剛。享年26、工事現場での転落死。生前は音響マニアで、カセットの扱いには煩かった。

「わかってる」

俺は鉛筆を抜き、芯の先端でテープの軸をそっと回す。このテープには、今朝の利用者苦情が録音されている。システムが音声認識エラーを起こしたため、アナログ保存が義務づけられた。平成エミュの混線で、デジタル音声とカセット併用が標準仕様になっている。

ベンチの向かいには自律型バスの停留所があった。ルートが頻繁に変わるせいで、時刻表はいつもズレている。バスは無言で滑るように走り去り、誰も文句を言わない。

俺は上着のポケットから使い捨てカメラを取り出した。36枚撮り、フラッシュ内蔵。公園の設備異常を記録するために支給されたものだ。デジタル端末もあるのに、なぜかカメラも持たされる。予算の都合らしい。

「隆、左の滑り台、また塗装が剥がれてるぞ」

兄貴の指摘に従い、ファインダーを覗く。確かに手すりの根元が錆びている。シャッターを切ると、機械式の巻き上げ音が静かな公園に響いた。

腕に貼ったナノ医療パッチがピリリと震えた。血圧が少し高い。睡眠不足だ。昨夜は倫理検査の予約を取り損ねた兄貴の代わりに、標準型の代理エージェントと一晩中やり取りをしていた。

「兄貴、お前の検査、来週には戻るんだろ?」

「ああ。たぶんな」

声に実感がない。兄貴のエージェントは、倫理検査の期限を三度延長している。理由は不明。俺は訊かないし、兄貴も語らない。

ベンチの隣に、誰かが置き忘れたiモード端末が転がっていた。液晶は割れ、アンテナが折れている。俺はそれを拾い上げ、カメラで撮影した。遺失物として記録する義務がある。

「隆、お前、最近ちゃんと飯食ってるか?」

「食ってるよ」

「嘘つくな。パッチの数値が悪い」

兄貴の口調が、少しだけ優しくなった。生前もこうだった。怒鳴るときは怒鳴るが、心配するときはそっと声を落とす。

俺はカセットテープをポケットにしまい、立ち上がった。午後の巡回ルートはまだ半分残っている。自律型バスが再び停留所に滑り込み、誰も乗らないまま発車した。

「兄貴」

「ん?」

「検査、ちゃんと戻ってこいよ」

少し間があった。

「……ああ、戻る」

声は確信に欠けていた。それでも俺は、そう信じることにした。カメラの残り枚数は22枚。俺はベンチを後にして、次の遊具へと歩き出した。