スナップショットの隙間、回覧板の署名

──平成0x29A年07月19日 20:10

平成0x29A年07月19日20時10分。
店内BGMの「DEPARTURES」インストゥルメンタルが、いつもより少し大きく響いていた。俺は坂本悠真、23歳。第19娯楽ブロックのゲームセンター「アミューズメント・ワン」のアルバイト店員だ。

「いらっしゃいませー」

意味も無く声を出す。別に客なんて見てない。常連の顔はARインプラントが自動認識して、購買履歴からおすすめゲームまで耳元で囁いてくるから、もう目視で確認する必要はない。だが、この「いらっしゃいませ」って声出しだけは、店舗マニュアルにあるんだ。平成文化をエミュレートするってのは、こういう無意味で、でもどこか安心する動作の反復なんだろう。

プリクラ機のコーナーから、黄色い歓声が聞こえる。今のJKたちは最新のAI補正で顔面を宇宙レベルに仕上げつつ、昔ながらの太いマジックペンで「卍」とか「友永卍」とか画面に書き込む。混線しまくりだ。

休憩室の扉を開け、備え付けの椅子に腰を下ろした瞬間、個人端末のARディスプレイに通知が浮上した。
『第0xED7A内閣ユニットより入電。ただ今より、坂本悠真様が第0xED7A内閣総理大臣に選出されました。任期は5分間です』

「うわ、またかよ」

肩をすくめる。これが今年の3回目だ。どうせならもっと稼げる仕事が回ってくればいいのに。端末がチカチカと点滅し、俺の前に半透明のホログラムが浮かび上がる。

『悠真、また呼ばれたのかい』

穏やかな声が聞こえ、祖父のエージェント、坂本雄二がARホログラムとして俺の横に立つ。享年75、元町工場の職人だった祖父は、いつもどこかのんびりとしていた。「どうせなら、俺が総理の座につきたいもんじゃがな」

『政策変更リクエスト:第19娯楽ブロックにおける、住民参加型イベント用分散ストレージの利用コスト低減について。現行制度との差分断片をレビューし、承認または非承認を決定してください』

端末がぶっきらぼうに要件を提示する。いつも通りだ。祖父は老眼鏡をくい、と上げ、ホログラム上の資料を指さした。「うむ、これは地域の若者たちが使う、イベント用のデータ保存場所の費用をどうにかしてくれ、という話じゃな。生成AI校正によれば、承認しても党ドクトリンの整合性は問題なさそうじゃが」

俺は適当に資料を流し見る。分散ストレージ。ああ、あのブロックチェーンみたいなやつね。イベントか。どうせ、プリクラコーナーで騒いでる連中がなんか企画してるんだろう。

「じゃあ、承認で。どうせ俺の5分なんて、世界に影響しないっしょ」

俺は指先でARパネルをスワイプし、「承認」のアイコンをタップした。ピコン、と軽い電子音。それで終わりだ。党ドクトリンに基づく署名アルゴリズムが自動的に適用され、リクエストは承認された。

『第0xED7A内閣ユニットの任期が終了しました。ご協力ありがとうございました』

祖父のエージェントも、ふわりと消えていく。

ふと、視線を休憩室の壁に貼られた紙の回覧板に落とす。そこには、手書きで「●月●日 第19娯楽ブロック サマーフェスタ 実行委員募集!」と書かれていた。少し色褪せた紙の端には、数人のサインが並んでいる。

まさか、今俺が承認したのが、このフェスタのため……?

そんなわけない。ランダムなんだから。でも、もし、たった5分の俺の決裁が、あの楽しそうなプリクラ女子たちのイベントに繋がっているとしたら。

俺は立ち上がり、もう一度「いらっしゃいませ」と声を出した。さっきより少し、声が弾んだ気がした。店内のBGMが、まるで俺の心境を代弁するように、サビに向かって盛り上がっていく。世界はたった5分で、ほんの少しだけ、色を変えるのかもしれない。