模擬閣議と、壁の四月
──平成0x29A年04月21日 20:10
「はい、じゃあ次。座席番号十四番、宮崎さん」
講師の声がスピーカーから割れ気味に響いて、あたしは慌ててコントローラーを置いた。
PS2の。
研修室の後ろの棚に、旧世代ゲーム機がずらっと並んでいる。「閣議判断における直感と反射の涵養」とかいう名目で、休憩時間に遊ばされる。格闘ゲームの二本先取で、あたしは同期の栗山くんに三連敗していた。
「宮崎芽衣、入ります」
あたしは模擬閣議ブースに入った。
触覚フィードバック端末——通称「かわ」——を両手にはめる。政策変更リクエストの承認・非承認を体感で判断する訓練用のやつだ。承認候補のパケットを受け取ると、端末がじわっと温かくなったり、ざらついたり、脈打ったりする。体が拒絶反応を示したら非承認寄り。馴染んだら承認寄り。そういうことになっている。
「エージェント接続、どうぞ」
耳の奥で、ばあちゃんの声がした。
『芽衣ちゃん、手ぇ冷たいでしょ。暖房つけなさいよ』
宮崎ツネ。享年七十九。三年前に心不全で逝った母方の祖母。生前は旧大宮エリアの市民課で四十年窓口をやっていた人で、行政手続きの勘だけは恐ろしく鋭い。
「暖房はいいから。模擬リクエスト来るよ」
端末が震えた。
リクエスト概要が網膜の端にスクロールされる。「旧さいたまエリア第七十二学区における給食カロリー基準の改定——現行一食あたり820kcalを790kcalに変更」。差分断片。些細なやつ。
端末の表面がほんのり温かい。悪くない感触。
『あら、これ署名いるやつ?』
「模擬だってば」
あたしは承認ボタンに指を置いた。
そのとき、ブース内のランプが赤く点滅した。
講師の声ではない。システム音声。
「第0x7A21F内閣ユニット、内閣総理大臣に任命されました。宮崎芽衣殿。任期五分。閣議を開始してください」
は?
あたしは研修生だ。まだ資格もない。市民IDの権限階層は「訓練生」のはずで、本番ユニットに接続される筋合いがない。
『あらまあ』とばあちゃんが呑気に言った。『総理大臣ですって。カレンダーに丸つけなきゃ』
壁を見た。紙のカレンダーが画鋲で留めてある。四月。桜の写真。二十一日のマスには赤ペンで「模擬閣議③」と書いてあった。模擬。模擬のはずだった。
端末がぶるぶる震えている。本番の政策リクエストが流れ込んできた。三件、五件、十二件——。
「ちょっと、これバグでしょ。講師!」
ブースの外を叩いたが、防音壁が厚い。隣のブースでは栗山くんがまだPS2で遊んでいる音がコンコン漏れている。
『芽衣ちゃん、落ち着きなさい。署名にはドクトリン照合がいるから、あなたが変なもの承認しても通らないわよ』
「それは……そうだけど」
『それにほら、五分よ五分。タイマー見なさい』
残り三分四十秒。
あたしは深呼吸した。端末の触覚を読む。温かいもの、ざらつくもの、冷たいもの。訓練通りにやるしかない。
二件承認、一件非承認、残りは保留——。
そのとき窓の外で、ドローンが研修センターの屋上に降りる低い唸りが聞こえた。夕食の仕出し弁当だ。毎日二十時に届く。あたしの腹が鳴った。
残り四十秒。
『ねえ芽衣ちゃん、十七件目のやつ、これ給食のカロリー基準の——』
「え、さっきの模擬と同じやつ?」
『同じ差分断片。本物のほう。あなたの模擬回答と本番が両方キューに入ってるわ』
つまり、あたしが訓練生として出した模擬承認が、本番側にも流れている。権限の誤照合。訓練用IDと本番用IDが重なっている。
「嘘でしょ……」
タイマーがゼロになった。
任期終了。ブースのランプが消え、照明が戻った。
ドアが開いて、講師が顔を出した。
「宮崎さん、お疲れ。模擬スコア出たよ。……ん? 顔色悪いけど」
「あの、あたし今、本番の総理大臣やってたんですけど」
講師はぽかんとして、それから端末のログを覗き込んだ。眉が上がった。眉がもっと上がった。
「……ああ、これ、ID照合のオフセットが一桁ずれてる。訓練系と本番系が——」
『ほらね』とばあちゃんが言った。『だから窓口業務は怖いのよ。番号札ひとつで人生変わるんだから』
講師が青い顔で本部に連絡を入れている間、あたしは壁のカレンダーに目をやった。
「模擬閣議③」の横に、小さく書き足した。
「——本番だった」
屋上でドローンが離陸する音がした。弁当、冷めるな、と思った。