乱数錠のノイズ、夕暮れの再生ボタン

──平成0x29A年07月28日 17:20

 時刻は一七時二〇分を表示したまま、網膜投影の時計が点滅している。定時は二〇分前に過ぎていた。
 俺は第4農業ブロックの最下層、リサイクル搬出区画のゲート前で立ち尽くしていた。頭上には、成層圏まで伸びているらしい高層農業プラントの配管が、巨大な内臓のようにうねっている。そこから定時排出されるバイオマス廃棄物の甘ったるい腐臭が、マスク越しにも鼻をついた。

「叩けば直るんじゃないのかい、健太」
 視界の端で、もんぺ姿の老婆が口を挟む。俺の担当エージェントであり、かつて東北で農業を営んでいた祖母のトメだ。
「ばあちゃん、これは量子乱数ロックだよ。叩いたら爆発するかもしれない」
「昔のテレビは叩けば直った。機械なんてのは気合が足りないから動かんのさ」

 目の前のゲート操作盤では、量子乱数生成器がバグを起こしていた。液晶画面の中で、解除コードとなるべき数字の羅列が、スロットマシンのように無限に回転し続けている。センターの制御AIが熱暴走でもしたのか、それともどこかの内閣ユニットが予算承認の署名をド忘れして、セキュリティ契約が切れたのか。
 いずれにせよ、俺と同僚のタナカは、この薄暗いゴミ捨て場に閉じ込められていた。

 タナカは作業着のポケットから、先ほど廃棄ラインで見つけた遺物を取り出し、油まみれの手袋で弄り回していた。
「これ、まだ動くかな」
「なんだそれ」
「ウォークマンだってさ。ラベルに書いてある。たぶん平成初期のモデルを模した、百年前くらいの復刻版だ」

 タナカが長方形の黒い箱に、有線のイヤホンを差し込む。ワイヤレスが当然の今、その絡み合ったコードは逆に前衛的な芸術品に見えた。
 俺は暇潰しに、ゲート脇の壁に設置された「町内会掲示板」を眺めた。これも平成エミュレーションの一環だ。電子ペーパーなのに、わざわざ画鋲の錆びた跡や、雨で滲んだようなテクスチャが再現されている。最新のニュースは『第3回・夏祭り実行委員会の招集について』だが、日付はランダム生成されたデタラメな値だった。誰も来ない祭りの、誰も読まない知らせ。

「お、音が鳴った」
 タナカが声を上げた。俺にも片方のイヤホンを差し出してくる。
「聴いてみろよ。すごいノイズだ」

 耳に押し込むと、シャーッという砂嵐のような音の奥から、くぐもったボーカルが聞こえてきた。データストリーミングのクリアな音質とは違う、物理的な膜が振動しているような、不安定で温かい音。
 祖母のエージェントが、懐かしそうに目を細める(網膜上のアイコンが変化する)。
「ありゃ、こりゃまた古い歌だねえ」

 音楽が流れる間も、ゲートのロックは狂ったように数字を吐き出し続けている。俺たちは汚れた作業着のまま、コンクリートの床に座り込んだ。
 インフラは故障し、政府は計算処理に忙しく、俺たちは帰れない。けれど、カセットテープの回転に合わせて流れるサビのメロディが、妙に心地よかった。

 ふと、乱数ロックの回転が、ドラムのビートと同期して見えた。
「……まさかな」
 俺は操作盤の下部にある、埃を被った物理リセットボタンに目を留めた。祖母が言っていた「気合」とは違うが、原始的な入力。
 曲が終わるタイミングに合わせて、俺はそのボタンを長押しした。

 カチャリ。
 電子音ではなく、重たい金属が噛み合う音が響いた。無限ループしていた数字が「解除」の二文字で固定される。
「開いたぞ!」
 タナカがイヤホンを外して立ち上がる。ゲートがゆっくりと左右にスライドし、その向こうにある業務用エレベーターホールへと道を開けた。

 エレベーターホールの窓からは、西日のようなオレンジ色の光が射し込んでいた。人工太陽の夕暮れモードだとしても、薄暗い地下にいた目には眩しい。
 俺たちはウォークマンをポケットにしまい、光の方へと歩き出した。故障のおかげで、少しだけ良い曲が聴けた。それだけのことが、今日という一日を悪くないものにしていた。