ブラウン管の向こうの碳クレジット
──平成0x29A年 日時不明
「おい、そこの', '」
呼び止められたのは、俺だった。
薄暗いゲームセンターの片隅。古びたビデオゲーム機が並ぶ中、ひときわ異彩を放つ、巨大なブラウン管テレビ。
その前で、俺の人生の半分以上を占める、亡き父、正夫さんの人格エージェントが、指をさして叫んだ。
「そんな、ルール違反だろ!」
父さんの声は、イヤホンから漏れ聞こえる。普段は穏やかな語り口なのに、今は怒りに満ちている。
俺が、父さんのエージェントに連れられて、このゲームセンターに来るのは、週に一度のお楽しみだ。父さんは、昔、ここでゲームの大会で優勝したらしい。その記憶が、エージェントに色濃く残っている。
今、俺がやっているのは、「スペース・コンバットZ」という、30年前のゲームだ。最近、このゲームセンターの店長が、このブラウン管テレビを、最新のARディスプレイに置き換えたらしい。
それに伴って、店長が勝手に作った「非公式ルール」がある。
「ARモードでプレイする奴は、スコアが二倍になる」
本来、ARモードなんて、このゲームには存在しない。店長が、勝手にプログラムを書き換えて、ARゴーグルを装着した客だけ、画面が二重に見えるようにしただけだ。
そのせいで、本来なら僕でも上位に入れるはずのスコアが、あっという間に抜き去られてしまう。
「父さん、でも、みんなやってるよ。」
俺は、父さんのエージェントにそう言った。父さんは、静かになった。そして、しばらくして、かすれた声で言った。
「…そうか。お前がそれでいいなら、俺は何も言わない。」
父さんの声が、イヤホンから消えた。俺は、一人、ARゴーグルを装着し、ゲームを再開した。
画面には、本来のゲーム画面と、ARによる二重の映像が重なって映る。操作は、今まで通り、コントローラーを握るだけだ。
それでも、スコアは、どんどん伸びていく。
ふと、ゲームセンターの入り口に目をやると、そこには、場末の風情漂う「町内会掲示板」があった。
掲示板には、いくつかの張り紙が貼られている。
その中に、「カーボンクレジット台帳」と書かれた、古びたファイルがあった。
店長が、このゲームセンターで発生したCO2排出量を、カーボンクレジットとして申請しているらしい。
「ARモードでプレイすると、CO2排出量が2倍になる」
これは、店長が勝手に作った、もう一つの非公式ルールだ。
ARゴーグルを装着している間は、ゲームの処理負荷が増えるため、CO2排出量が増える、という理屈らしい。
その分、店長は、カーボンクレジットを多く取得できる、というわけだ。
俺は、父さんのエージェントの声が聞こえなくなった、イヤホンを外した。
そして、ARゴーグルを外して、ブラウン管テレビの画面を、ただ、ぼんやりと見つめた。
ゲームは、とうに終わっていた。
俺のスコアは、ARモードを使わなかったため、最低記録だった。
しかし、隣の席では、ARモードでプレイした男が、歓声を上げていた。
「やった! 過去最高スコアだ!」
その男の、顔は、俺と同じように、どこか滑稽に見えた。
俺は、店長が、また新しい非公式ルールを作って、カーボンクレジットを稼ぐのを、静かに見守ることにした。
この、ブラウン管テレビと、ロボ清掃員が、埃をかぶったゲームセンターで、何かが、始まろうとしていた。