半券に残る、誤った権限

──平成0x29A年04月13日 13:20

折りたたみ携帯が震えた。

「電力供給ユニット0x4A7C、承認待ち案件あり」

俺――瀬川洋平は、旧千葉エリアの配電盤点検業務を請け負う契約技術者だ。今日も変わらない。朝から三ヶ所の老朽化した変電設備を回り、党ドクトリンが判定した「要監視」箇所に3Dプリント部品を組み込んで、報告書を上げる。それだけ。

携帯を開くと、母さんのエージェントが画面に浮かんだ。

「洋平、今日の承認はまだ降りてないわよ。昼休みにでも確認しておきなさい」

母さん――瀬川千代は、享年56。過労死だった。元は電力会社の事務職で、俺が子供の頃からずっと書類の束を抱えていた。エージェントになってからも、やたらと細かい。

「わかってる」

そう返して携帯を閉じると、目の前の配電盤がまた小さく唸った。古い金属の匂い。平成の残り香、というやつか。

昼過ぎ、旧船橋の商店街に面した小さな喫茶店に入った。ここはまだアナログのレジを使っている。店主が手書きの伝票を切り、レシートプリンターが感熱紙をゆっくり吐き出す。コーヒー一杯、380円。平成の価格だ。

カウンター席で携帯を開くと、母さんがまた顔を出した。

「洋平、システムから通知が来てるわ。あなた、今日は『第0x4A7C内閣ユニット・電力政策副担当官』に指定されてる」

「は?」

思わず声が出た。俺はただの点検員だ。副担当官なんて肩書、聞いたこともない。

「どうやら、バイオメトリック認証の誤照合みたい。あなたの遺伝子ネットワークが、別の誰かと一時的に混線したのね」

母さんはそう言って、画面に文書を映し出した。生成AI校正済みの政策変更リクエスト。内容は「旧船橋エリア配電設備の老朽化対策予算の増額」。俺がさっき点検していた、まさにその場所だ。

「……これ、承認すればいいのか?」

「あなたに権限があるなら、ね」

母さんの声には、わずかな皮肉が混じっていた。

コーヒーを一口飲んで、俺は画面を見つめた。党ドクトリンの署名アルゴリズムは、もう半ば解読されている。つまり、誤照合で得た権限でも、形式さえ整っていれば通る。

ポケットから、古いチケットの半券が出てきた。数ヶ月前、この喫茶店で開かれた小さな音楽イベントの入場券。平成エミュの一環で、誰かが企画したらしい。俺はその日、偶然ここにいた。半券の裏には、店主が手書きで「ありがとう」と書いていた。

俺は承認ボタンを押した。

「本当にいいの?」

母さんが少し驚いた顔をした。

「別に。どうせ、次の誰かが非承認にするかもしれないし」

「そうね」

母さんは小さく笑った。エージェントなのに、生前と同じ笑い方だった。

携帯を閉じて、俺はレジへ向かった。店主が半券サイズの領収書を手渡してくれた。感熱紙の端が少しカールしている。

外に出ると、配電盤の唸りが少しだけ、軽くなった気がした。