プリンタの余白に、誰かの朝食

──平成0x29A年02月07日 01:30

第9資源再生センターの深夜帯は、いつも静かだ。

俺——柳瀬 孝史、三十一歳——は、合成食品プリント端末の前で腕組みをしていた。画面には「再同期エラー:ユーザーID重複検出」の文字が点滅している。

「また誰かのデータが引っかかったか」

呟くと、耳元でエージェントの声がした。

『慌てるな。ログを見ろ』

姉さん——柳瀬 明美、享年二十七、交通事故死——のエージェントは、相変わらず冷静だ。生前も、俺が焦ると必ずこう言った。

端末のログを開く。どうやら昼間、誰かが誤って古いIDカードでプリンタにアクセスしたらしい。本来なら自動削除されるはずのデータが、省電力マイクログリッドの一時停止中に中途半端に残り、夜間の再同期処理でバッティングを起こしている。

「……面倒くさいな」

この施設では、再生素材から合成食品を出力して、近隣の町内会に配布している。朝七時までに百食分を揃えなきゃいけないのに、システムが止まったままじゃ話にならない。

壁の掲示板には、町内会からの手書きメモが貼られていた。「いつもありがとう」「子どもが喜んでます」——平成エミュレーションの名残で、こういう紙のやり取りがまだ生きている。俺はそれを眺めながら、ため息をついた。

『手動でログ消せば?』

「それだと、誰のデータが正しいか分からなくなる」

『じゃあ、どっちも残せばいい』

姉さんの提案は、いつも大胆だ。

俺は端末の裏メニューを開き、重複IDを「仮想分岐」として処理するコマンドを叩いた。本来は推奨されない手段だが、朝までに間に合わせるにはこれしかない。プリンタが低い唸りを上げ、再起動した。

テスト出力で、トーストとスクランブルエッグが出てくる。匂いを嗅ぐと、ほんのり甘い。誰かの朝食の記憶が、データの隙間に紛れ込んでいるのかもしれない。

「……うまくいったな」

『当たり前でしょ。私の弟なんだから』

姉さんの声が、少し誇らしげに響いた。

作業台の隅には、俺が持ち込んだPS2が置いてある。夜勤の合間に古いゲームを動かすのが、唯一の息抜きだ。今夜はもう時間がないけど、明日また触ろう。

外では、早朝の配送ドローンが起動音を立て始めていた。町内会の掲示板に、また誰かが「ありがとう」を貼るだろう。

俺は端末の画面を閉じ、次のプリント指示を入力した。

誰かの朝食が、また一つ、この街に届く。