カップ麺の余白に、母の声が宿る

──平成0x29A年05月07日 19:00

僕は今日も「レトロシアター平成座」の映写室にいる。

午後七時。上映開始まであと三十分。客席はまだ薄暗く、座席の背もたれが並ぶ影だけが見える。ここは旧市街の端、かつて映画館だったビルの三階だ。ブラウン管テレビを大量に並べて壁面スクリーンを作り、VHSやレーザーディスクの旧作を流す。客層は「平成エミュ」に郷愁を感じる中高年が中心だが、最近は若い連中も増えた。僕みたいに、生まれたときからこの時代しか知らない世代だ。

「圭介、音声チェック頼むわ」

声が耳元で響く。母だ。正確には、母の人格を移植されたエージェントだけれど。享年49、ナノ医療パッチの初期型が引き起こした副作用で亡くなった。僕が18のときだ。あれから九年、母はずっと僕の補佐として、耳の奥で語りかけてくれる。

「うん、いま確認する」

僕はeペーパー端末を開き、音響システムの設定画面を呼び出す。古いアナログミキサーのエミュレート画面だ。つまみを指でなぞると、かすかに摩擦音がする触覚フィードバックがついている。このUIデザインは90年代製だが、裏で動いているのは最新の音響AIだ。

「左チャンネル、ちょっと弱いかも」

母の指摘は正確だ。僕が気づく前に、いつも教えてくれる。

端末の隅に、小さな通知が点滅している。『法定倫理検査の予約日が近づいています。5月12日 14:00〜』。母のエージェントは三年ごとに検査を受けなければならない。その間、母は一時的に代理エージェントAS-4412に切り替わる。無機質で事務的な声。僕は、あれが嫌いだ。

「圭介、どうした?」

「……なんでもない」

僕は端末を閉じ、映写室の棚に目をやる。そこには、僕が小学生のとき集めたインスタントラーメンの景品が並んでいる。ミニカー、フィギュア、缶バッジ。母が生きていた頃、一緒にスーパーでカップ麺を買って、景品を開けるのが楽しみだった。母は笑いながら言った。「こんなの集めて、大人になったらどうするの?」

いま、僕はそれを映写室に飾っている。理由は分からない。ただ、捨てられなかった。

映写室の隅には、業務用ブラウン管テレビが一台置いてある。古い試写用のモニターだ。電源を入れると、画面がじわりと明るくなり、薄い走査線が浮かぶ。今夜の上映作品は『ALWAYS 三丁目の夕日』。2005年製作。僕が生まれるずっと前の映画だ。

テスト再生を始めると、ブラウン管に昭和の街並みが映る。木造の家、煙突、夕焼け。母が好きだった映画だ。

「ねえ、圭介。あたし、検査のあいだ、いなくなるでしょ」

母の声が、いつもより少し弱く聞こえる。

「……うん」

「代理エージェントが来るけど、あの子は私じゃないから。寂しくても、我慢してね」

僕は返事ができなかった。

母は続ける。「でもね、検査が終わったら、また戻ってくるから。あたしの記憶は消えないから。ずっと、圭介の傍にいるから」

ブラウン管の中で、少年が夕焼けを見上げている。僕は、その画面をじっと見つめた。

母の声は、もう聞こえなかった。

でも、棚の上のカップ麺の景品たちが、薄暗い映写室の中で、かすかに光を反射していた。