MOの朝焼け、決済音がする前に

──平成0x29A年10月19日 06:10

俺の名前は吉沢。三十二歳。第十一地区で小口荷物の配達を七年やってる。

朝六時すぎ、配達用電動カートのフロントパネルが点滅した。エッジAI端末が、またバグってる。昨日から配達ルートの最適化が微妙におかしい。三軒目と五軒目が逆になってたり、同じ番地を二度通ったり。インフラの故障ってのは、こういう「微細」なやつが一番面倒だ。

「吉沢、端末の挙動がおかしいな」

耳の奥で、兄貴の声がした。兄貴——正確には、三年前に亡くなった兄・吉沢隆の人格エージェント。生前は同じ配達の仕事をしてた。今は俺の補佐役として、毎朝ルートチェックを手伝ってくれる。

「ああ。またAIが古い地図データ引っ張ってきてるみたいだ」

俺はカートの脇に積んだMOディスクのケースを開けた。平成の頃の物流システムが使ってた記録媒体で、今でも一部の配達拠点では予備データとして使われてる。エッジAI端末が壊れたとき用の、いわばバックアップ地図だ。ディスクをスロットに差し込むと、カートのディスプレイに古い区画図が浮かび上がる。

「これで行くか」

兄貴が静かに言った。「懐かしいな。俺が新人の頃、まだこれ使ってたよ」

カートを走らせながら、俺はガラケー型の端末を取り出した。配達先への到着通知と、サブスク決済の確認をするためのやつだ。画面には「深夜ラジオ ch.402 再生中」の文字が小さく光ってる。昨夜聞いてたのを、そのまま流しっぱなしにしてた。

「……第0x1A3F2内閣ユニットより、政策リクエスト受理通知。配達員向け労働時間規制の微修正案が……」

ラジオのパーソナリティが、淡々と読み上げる。深夜ラジオってのは今、政策通知の代替チャンネルになってる。誰も聞いてないようで、意外と耳に残る。サブスク決済の請求通知も、同じ周波数帯で流れてくる仕組みだ。

「吉沢、次の配達先、表札が消えてるぞ」

兄貴の指摘で、俺はカートを止めた。MOディスクの地図には載ってるけど、実際の建物には番地プレートがない。エッジAI端末なら、リアルタイムで住所を補正できるはずなんだが、やっぱり動いてない。

「……仕方ねえな」

俺はガラケーで配達先に連絡を入れた。相手は老人で、電話口で「ああ、プレート落ちちゃってね」と笑ってた。荷物を手渡すと、彼は言った。

「配達の人も大変だねえ。昔はもっと、こう、ちゃんと動いてたもんだけど」

俺は曖昧に笑って、カートに戻った。

配達を終えて拠点に戻る途中、兄貴が言った。

「なあ、吉沢」

「ん?」

「俺、実は……お前がこの仕事続けてくれて、嬉しいんだ」

俺は少し、手を止めた。

「兄貴」

「いや、別に重い話じゃない。ただ、こうやって一緒にルート回ってるとさ、昔みたいだなって思うんだよ」

朝焼けが、カートのフロントガラスを赤く染めてた。エッジAI端末の点滅が、まだ続いてる。サブスク決済の通知音が、ガラケーから小さく鳴った。

俺は、少しだけ笑って言った。

「……俺もだよ、兄貴」

MOディスクを抜いて、ケースに戻す。また明日も、この地図で走ることになるだろう。