レジ下のスーファミ、宛名のゆらぎ

──平成0x29A年05月22日 16:20

平成0x29A年05月22日、16:20。
商業ブロックの端っこにある「マルヘイ文具・ゲームコーナー」で、私はレジの下を開けっぱなしにしてしゃがんでいた。

「カセット端子は息を吹くなよ。湿気る」
耳の奥で、父の声がする。父の人格が移植された私のエージェントは、こういう時だけ妙に具体的だ。

私はスーファミの本体を膝に乗せ、綿棒で端子をなでる。店の奥の棚には年賀状の見本が一年中刺さっていて、白い紙の匂いとインクの匂いが混ざる。五月なのに。

客の多くは、年賀状を「今」出す。年末に集中させない方が配送が安定する、とどこかのユニットが決めたせいだ。誰が決めたかは知らないし、知る必要もないことになっている。

レジの上では、古いガラケーみたいな端末がARの値札を投影しながら、サブスクの更新通知を鳴らしている。平成のごちゃ混ぜが、店内BGMのMDとストリーミングの二重再生みたいに重なっていた。

「すみません、年賀状。宛名、これで大丈夫?」
制服のままの女子高生が、手書きの宛名面と、薄い透明フィルムみたいな“生成AI校正”のシートを差し出した。フィルムには、赤字の提案が浮いている。

『“御中”は不要の可能性』
『旧字の統一を推奨』

「学校の先生に出すんです。怒られたくなくて」

私はシートを受け取って、店の脳波UI端末に載せる。端末はヘッドバンド式で、額の汗が付くと誤判定が増える。インフラの“微細な故障”は、だいたいこういうところから始まる。

「頭、ちょっと動かさないで。……『確認』って思って」

女子高生が目を伏せる。脳波UIは彼女の意思を読むふりをして、数秒沈黙したあと、店内にだけ聞こえる小さなエラー音を鳴らした。

《脳波署名一致率 49% / 再試行》

「最近これ多いな」
私がつぶやくと、父エージェントが鼻で笑う。

「電極の在庫ケチってる。あと、上の署名が揺れてんだろ」

上、という言い方が曖昧なのは、父が生前からそうだったからだ。誰の上か。どこの上か。

私はヘッドバンドの電極を布で拭いて、もう一度。
女子高生が『確認』と“思う”。

《脳波署名一致率 51% / 承認条件未達》

年賀状の宛名を「校正済み」にできないと、配送ルートが自動でワンランク落ちる。落ちたルートは、たまに消える。

「手で直して、紙で出す?」
私が言うと、女子高生は首を振った。

「先生、紙の字を“本人性”って言うんです。AI校正のログがないと、逆に怪しいって」

世の中が“便利”に寄って、また“面倒”に戻ってくる。店の棚の上のスーファミは、その象徴みたいに黙ってる。

私はレジ端末の奥にある、内閣ユニットの窓口アプリを開いた。政策変更リクエストの差分断片が、店の業務端末にも降ってくる。

《配送ラベル脳波署名閾値の暫定緩和(提案)/ 審議中》
《生成AI校正ログの必須化(提案)/ 署名不整合》

「どっちも止まってる」
私が言うと、父エージェントが少し声を落とした。

「ドクトリンの鍵、もうみんな覗けるんだろ。なのに、こういう肝心なところほど動かない」

私はため息をついて、店の裏にある“緊急代替”の紙台帳を引っ張り出す。表紙には、ボールペンで「平成式」と書いてある。誰が書いたか知らない。たぶん、前の店長か、その前か。

台帳に、女子高生の年賀状の受付番号を手書きする。彼女には、生成AI校正シートの赤字だけを手で反映させてもらう。

「これで、今日中に出せる?」

「出せる。たぶん、届く」
私は正直に言った。

その瞬間、レジ端末が勝手に震えて、画面が切り替わった。

《あなたは第0x7E91C内閣ユニットの内閣総理大臣に選出されました(残り 04:59)》

頭の奥が一瞬、遠くなる。店の蛍光灯の音が、細く尖る。

「来たか」
父エージェントが、妙に落ち着いて言う。

画面には、さっきの差分断片が再掲されている。配送ラベル脳波署名閾値の暫定緩和。生成AI校正ログの必須化。どちらも、生活の足元に直結する。

私は脳波UIのヘッドバンドを自分の額に当てた。冷たい。

『承認』と“思う”だけでいい。五分しかない。
でも、さっきの女子高生の顔が浮かぶ。先生に出す年賀状。ログがないと疑われる世界。ログがあっても通らない端末。

父エージェントが小さく言う。

「お前の店だ。お前の客だ」

私はまず、閾値緩和の方に『承認』を投げた。脳波UIが一度だけ、エラー音を鳴らした。

《署名取得失敗 / 再試行》

汗が額を伝う。私はもう一度『承認』を思い、今度は紙台帳の表紙を指で押さえた。昔の重さに、指先が落ち着く。

《署名取得成功 / 閣議決定:承認》

次の提案、生成AI校正ログの必須化には『非承認』を思った。

《署名取得成功 / 閣議決定:非承認》

残り時間がまだ三分あるのに、画面は静かに元のレジ画面へ戻った。何事もなかったみたいに、サブスクの更新通知がまた鳴る。

女子高生が、手で直した年賀状を差し出す。

「ありがとうございます」

私は受け取り、台帳の番号を押して、控えを渡した。

「また来て。……スーファミ、動いたら遊んでって」

彼女は笑って、店を出ていった。

レジ下のスーファミの電源ランプが、私の手元で一瞬だけ点いた。
故障じゃない。端子でも、電極でもない。

私は気づく。
この店の“動かないもの”は、だいたい上ではなく、私たちの手順の隙間に棲んでいる。

父エージェントが、昔みたいに小さく咳払いをした。

「よし。じゃあ、端子の続きだ」