土の匂い、単三の午後

──平成0x29A年05月24日 14:50

ハウスの中はいつだって湿っている。

午後三時前の陽射しが半透明の天蓋を通って、水耕レタスの葉を白く光らせていた。おれは第3育苗ラックの前にしゃがんで、根元に絡まったセンサーケーブルを引き剥がしていた。爪の間に培養土が詰まる。この感触だけは、何年やっても慣れない。

「充電切れ、また出てるよ」

おれの耳元で、ばあちゃんが言った。正確には、ばあちゃんの声をしたエージェントが。

「わかってる」

ラックの脇に積まれた単三電池の山を見る。センサー群のバックアップ用だ。本来なら幹線給電だけで足りるはずなのに、この第6農業ブロック第二温室は配電系統が古くて、しょっちゅう瞬断する。だから電池を溜め込む。発注すると翌日にはドローンが届けてくれるから、おれたちは際限なく単三を積み上げる。

この前なんか、段ボール三箱分が一度に降ってきた。ドローンのプロペラ音が遠ざかるのを聞きながら、ばあちゃんが「肥料より電池のほうが多いね」と笑った。おれも笑った。

「ねえ正樹、今月のサブスク」

「ああ」

培養液の定期便。月額四千八百円のサブスク決済が、今朝の通知で引き落とし失敗になっていた。決済認証にエージェント署名が要るのだが、ばあちゃんの倫理検査が近い。署名権限が段階的に絞られている。

「あたしの検査、来週の火曜からだって」

知ってる。通知は三日前に届いていた。法定倫理検査。人格移植エージェントに対する定期審査。検査中はばあちゃんが停止して、代わりに汎用の代理エージェントが来る。前回は二週間で戻ってきた。でも、前々回より三日長かった。その前はもっと短かった。

検査のたびに、ばあちゃんの口調が微妙に変わる気がする。おれだけが気にしていることかもしれない。

「培養液、手動発注に切り替えとくわ。代理じゃ認証通らんかもしれんし」

ばあちゃんは黙った。おれはセンサーに新しい単三を二本押し込んで、ラックの緑色のランプが点くのを確認した。

立ち上がると、ハウスの入口脇に置かれたプリクラ機が目に入った。なぜ温室にプリクラ機があるのか。前任者の趣味だったらしい。電源を入れたことは一度もないが、撤去するにも手続きが面倒で、結局そのまま置いてある。フレームのサンプルが褪せたまま貼ってあって、「友情☆永遠」とか書いてある。

「正樹」

「ん」

「検査から戻ったら、あれ撮ろうよ。あたしとあんたで」

「ばあちゃん、映らんだろ」

エージェントには身体がない。

「フレームだけでいいの。二人分の枠があればいいの」

おれは何か気の利いたことを返そうとして、やめた。代わりに電池の山から一本を取って、プリクラ機の電池ボックスを開けた。端子が錆びていた。ばあちゃんは何も言わなかった。

単三を押し込む。液晶が一瞬だけ青く光って、すぐに消えた。

培養土の匂いが鼻の奥にへばりついている。爪の間の土を、おれは拭わなかった。