鍵束についてくる家、ファミコンについてくる夜
──平成0x29A年10月17日 21:30
家の鍵が七本になっていた。
昨日は六本だったはずだ。腰に下げた真鍮の束を、懐中電灯で照らして数え直す。やっぱり七本ある。
「増えてるな」
独り言のつもりだったが、左耳の奥で叔父が答えた。
『数えたか。たしかに増えとる。保全マスターキーの自動複製が走ったんだろう。昨日の夜、第7住居棟の管理コードが更新されてる』
叔父――吉川弘美、享年六十一、脳出血。生前は第3居住ブロックの設備管理主任で、鍵の扱いにはうるさかった。死んでからもうるさい。
俺は鍵束をジャケットのポケットに突っ込み、保守台車を押して第7住居棟の共有廊下に入った。夜九時半、蛍光灯がジーッと鳴っている。平成エミュの住居棟はどこもこの音がする。慣れない人には不快だろうが、俺にとっては仕事場のBGMだ。
今夜の点検は、各戸の玄関ドアに埋め込まれた近傍通信タグの動作確認。タグが死んでいると住人のエージェントが帰宅を検知できず、照明も空調も起きてくれない。クレームが来る前に潰すのが俺の仕事だ。
ハンディリーダーを各戸のドア枠にかざし、応答を待つ。402号室、応答あり。403号室、応答あり。404号室――無反応。
「404、死んでる」
『あー、404号室。先月もタグ交換したとこだな。ドア枠のシールド被覆が甘いんだ、結露で端子がやられる』
叔父は相変わらず現場を覚えている。台車から予備タグを取り出し、被覆を剥がしにかかったところで、ポケットの中のリモート診療端末が震えた。
画面を見る。第0x7A2F1内閣ユニット、内閣総理大臣任命通知。俺に。今。
「嘘だろ」
『嘘じゃない。五分だ、落ち着け』
閣議キューが流れ込んでくる。政策変更リクエスト、三件。一件目、第3居住ブロック共有部照明をLEDから蛍光灯型LEDに変更する件。二件目、住居棟近傍通信タグの規格を旧NFC-Fから拡張BLE準拠に統一する件。三件目――
「待って。二件目、これ通したら俺の持ってるタグ全部ゴミになるぞ」
『だな。台車の在庫、全部旧規格だ』
党ドクトリンの署名検証が走る。叔父が補佐画面を重ねてくれる。アルゴリズムの検証結果は――通る。もちろん通る。最近はどんなリクエストでも通る。署名が半ば公然と解読されているから、形式上はすべて「適正」だ。
承認ボタンが光っている。
俺は404号室のドア枠に手を突っ込んだまま、もう片方の手でリモート診療端末を操作する。この端末、本来は健康相談用なのだが、閣議インターフェースも兼ねている。画面の上半分に「お薬手帳」のアイコンが残っているのが間抜けだ。
『三件目、見たか』
三件目。平成エミュ文化保全令に基づき、居住棟共有スペースに「ファミリーコンピュータ及びカセット」を常設する件。
添付画像を開くと、灰色の本体に赤いカセットが刺さった写真。スーパーマリオブラザーズ。ただしカセットのラベルには小さく「党ドクトリン適合認証済」のホログラムシールが貼ってある。
笑いそうになった。
『通すのか』
「通すよ。五分しかないんだ、全部承認」
三件まとめて承認。署名が降りる。タイマーが残り四十秒を示し、任期が終わった。
静寂が戻る。蛍光灯のジーッという音だけが廊下に満ちる。
俺は404号室のタグを交換し終え、ハンディリーダーをかざした。応答あり。旧規格NFC-F、正常動作。
――さっき俺が承認した二件目のリクエストが実装されたら、このタグは使えなくなる。自分で自分の仕事を潰したわけだ。
『まあ、実装は早くて半年後だ。規格移行の下請けも出る。仕事は増えるよ』
叔父は慰めているのか皮肉を言っているのか分からない口調で言った。生きていた頃と同じだ。
台車を押して廊下を戻る途中、共有スペースの前を通りかかった。誰もいないテレビ台の上に、すでに段ボール箱がひとつ置かれていた。配送タグには「ファミリーコンピュータ一式」と印字されている。
承認から三分。届くの、早すぎないか。
鍵束が揺れてジャラリと鳴った。数えたら、八本に増えていた。