封筒の角が擦れる音
──平成0x29A年12月23日 18:50
平成0x29A年12月23日、18:50。
センターのシャッターが半分だけ開いたまま、寒気と一緒に排気の匂いが入ってくる。ベルトコンベアは動いているのに、仕分けゲートのランプだけが点かない。赤でも青でもなく、妙に素っ気ない灰色。
「またインフラの微細故障、ってやつか」
耳の奥で、父が舌打ちした。僕のエージェント――田口 清志、享年58。路線トラックの過労で眠るみたいに死んだ人だ。彼の声は、こういう現場の停滞にだけやけに生々しい。
「ゲートの認可、落ちてる。差分リクエストが通ってないんだよ」
僕は腰の端末を叩き、ゲートの診断を走らせる。表示は「第402ヘゲモニー期・ドクトリン署名待ち」。待ち、というより、凍っている。
棚の上では、今日の山場のひとつ――年賀状の束が、透明の帯で固められている。宛名の墨が乾ききらない匂いが、段ボールの紙臭さに混じる。年末は、どの時代でも同じ匂いがするらしい。
耳に自動翻訳イヤホンを差す。相手は同じセンターの外注、海外圏の監視オペレーターだ。日本語で話すと、イヤホンが一拍遅れて別の言葉に変えてくれる。
「ゲートが灰色。手動で流したい」
返ってきた声は、僕の耳の中で滑らかに日本語へ変換される。
『手動は可能。ただし、通過ログを生成するCPUが今、時間貸し市場で高騰してる』
時間貸しCPU。自治体の余剰計算を、分単位で競り落として使うやつだ。物流のログ生成も、今はそれにぶら下がっている。誰かの宣伝動画のレンダリングと、僕らの年賀状が同じ皿に乗ってる。
父が笑った。
「昔はハンコ押して終わりだったのにな。今は『計算』を借りるのか」
僕は棚から古い機材ケースを引きずり出す。中には黒いウォークマン。倉庫の片隅に残っていた私物だ。カセットの窓が擦れて白くなっている。
「それ、何の役に立つんだ」
父が訝しむ。
「役に立つかは知らない。……でも、動くか試したい」
イヤホンの接続が不安定なとき、アナログの音は助けになる。僕はウォークマンの端子に、翻訳イヤホンの受信ユニットを噛ませる。無茶な配線だ。テープを再生すると、キュル、と小さく回転音。次いで、誰かが昔に録ったFMの歌が、薄く流れた。
その音に合わせるように、僕は端末の「臨時ログ」ボタンを長押しする。画面に、時間貸しCPUの入札が出た。
【0.7秒/1ジョブ 落札条件:内閣ユニット署名なし】
「署名なし?」
父が言う。
「党ドクトリンが詰まってるなら、いっそ無署名で……ってことか」
灰色のゲートを見上げる。誰かがどこかの「内閣ユニット」で、今この五分、総理を名乗っているのかもしれない。でもこの現場のランプは、そんな威厳に興味がない。
僕は落札をタップした。
ベルトの速度がわずかに上がり、ゲートが一瞬だけ青く点いた。年賀状の束が、吸い込まれるみたいに奥へ流れていく。
『ログ生成、成功。通過証明、暫定で発行』
翻訳イヤホンがそう告げる。ウォークマンの歌が、ちょうどサビに入る。平成の古いメロディが、未来の倉庫で鳴っている。
「よし」
僕は息を吐いた。父の声が少し柔らかくなる。
「お前、こういうの向いてるな」
「向いてるっていうか……」
僕は年賀状の束の抜けた棚を見た。次の便の箱には、宛先の書き損じを修正した跡がある。白い修正テープの上から、もう一度ペンで丁寧に書かれている。
「実は、僕も出すんだ。年賀状」
父が黙った。
「誰に?」
「……母さんに」
言った瞬間、倉庫の音が少し遠くなる。ベルトの唸り、台車のガラガラ、ウォークマンの歪んだ高音。
「住所、まだ生きてるから。エージェントの更新先じゃなくて、昔の家のポスト」
父が、呆れたように、でも怒らずに言う。
「届かねえだろ」
「うん。届かない。でも、通過ログは残る」
時間貸しCPUで生成した暫定ログの一覧に、さっき流した年賀状束の番号が並んでいる。その末尾に、僕が紛れ込ませた一通がある。
母の名前を宛名に書いた、僕の字。
父が小さく息を吸い、笑いともため息ともつかない音を出した。
「……お前のそういうとこ、俺に似たな」
ウォークマンのテープが、ぷつ、と途切れた。自動反転に失敗したらしい。
灰色だったゲートは、青に戻らず、また静かに消えた。
でも、年賀状はもう行ってしまった。
届くかどうかじゃない。
僕は、送ったと記録される未来の中で、今日だけはちゃんと告白できた気がした。