灰色のカセット、代理の沈黙
──平成0x29A年01月03日 02:30
一月三日、午前二時三十分。
第9商業ブロックの「リサイクル・メディア・ハーフ」の店内は、深夜特有の静寂と、古いプラスチックが酸化した匂いに満ちていた。初売りの喧騒が去り、棚卸しの残骸だけが足元に散らばっている。
「対象物検知。昭和末期のエンターテインメント記憶媒体。通称、ファミコンカセットです」
脳内に響く声は、ひどく平坦で無機質だった。私の視界の右端に、脳波UI(ユーザーインターフェース)が安っぽい緑色の文字を投影する。
私は首筋に貼ったナノ医療パッチを指で押さえた。カフェインと精神安定剤が経皮吸収され、少しだけ視界がクリアになる。いつもなら、ここで妻のユミが「またそんなもの貼って! 休憩しなさいよ」と怒鳴り込んでくるタイミングだ。
だが、今の私の担当エージェントはユミではない。彼女の人格データは三日前から「法定倫理検査」のために中央サーバーへ召喚されている。代わりに割り当てられたのは、この退屈な「代理エージェント・標準型Ver.4.02」だ。
私は手元の灰色のカセットを裏返した。マジックで汚く名前が塗りつぶされている。端子部分は息を吹きかけたくなるほど埃まみれだ。
「相場検索」
脳内で念じると、視界の中央に縦長の小さなウィンドウが開いた。党ドクトリン準拠の公式鑑定サイトだ。未だにiモードを模倣したテキストベースのサイト構成で、<marquee>タグで流れる『謹賀新年・特別査定強化中』の文字が、網膜の上で虚しく滑っていく。
この不便なUIも、社会安定アルゴリズムが「平成初期の制約こそが美徳」と判断した結果らしい。スクロールするたびに脳波が少し引っかかるような重さを感じる。
「査定結果、ランクD。廃棄推奨です」
代理エージェントが事務的に告げた。
私はため息をつく。ユミなら、「これ、子供の頃に弟が欲しがってたやつだわ」とか、「汚いから触らないで」とか、何かしらの情緒的なノイズを混ぜてくるはずだ。そのノイズがない作業は効率的だが、どうしようもなく味気ない。
私はカセットのラベルを見た。『ドラゴンクエストIII』。かつて社会現象になったという伝説のプログラムだ。
「……なぁ、代理」
「はい。音声入力待機中」
私は店内を見回し、誰もいないことを確認してから、小声で呟いた。
「ユミの検査だけどな。あれ、定期検査じゃないんだ」
「データベースと矛盾します。公的記録では定期倫理検査となっています」
「俺が通報したんだよ。『エージェントの感情バイアスが過剰で、業務に支障が出ている』って、党のホットラインに匿名でな」
代理エージェントは沈黙した。脳波UIのインジケーターが一瞬、黄色く点滅する。論理的な整合性を計算しているのだろう。
「推奨されませんが、違法ではありません。ユーザーの精神衛生管理権限の範囲内です」
やはり、つまらない反応だ。
私は少しだけ笑って、灰色のカセットを「廃棄」ではなく「個人買取」のボックスに放り込んだ。ユミがいたら、無駄遣いだと絶対に許さなかっただろう。
彼女が真っ白な「初期化済み」の状態で戻ってくるまで、あと四日。それまでは、この静かすぎる自由と、少しの罪悪感を噛み締めて過ごすことにする。