アルゴリズムの家庭菜園
──平成0x29A年 日時不明
メインコンソールの光が、薄暗い管理室の床にまだら模様を描いている。並んだディスプレイには、第23アグリブロックの育成状況を示す数値とグラフが、飽きもせず明滅を繰り返していた。
『祐樹。C-7区画のカリウム値がまた閾値を超えそうだぞ』
頭の中に、親父の声が響く。システムエンジニアだった親父は、死んでエージェントになってからも、俺の仕事に口を出したくて仕方がないらしい。
「わかってるよ。ユビキタスセンサー網からのアラートは、こっちでも受信してる」
俺はコンソールを叩き、栄養溶液の自動調整パラメータを微修正した。生前の親父は、ベランダのプランターで不格好な野菜を育てるのが趣味だった。その延長なのか、やたらと土壌データにうるさい。
「よお、坂井」
背後から声をかけられ振り返ると、同僚の田中がニヤニヤしながら立っていた。片手には、何かのキャラクターが描かれた陶器のどんぶりを持っている。
「見てくれよ、これ。インスタントラーメンの景品。ようやく当たった」
「またそんなものを……」
「いいじゃないか。で、例のやつ、そろそろ収穫だ。投票の準備、頼めるか?」
田中の言う「例のやつ」とは、非認可品種のトマトだ。この自動化された農場では、党ドクトリンが定めた高効率・高栄養価の作物しか栽培を許可されていない。だが、半ば公然と解読された署名アルゴリズムのおかげで、俺たちには抜け道があった。
「わかった。すぐサーバーを立てる」
俺はコンソールの一角に、古めかしいテキストベースのウィンドウを呼び出した。ローカルネットワーク内だけで有効な、ブロックチェーン投票システムだ。ここで俺たち管理スタッフが「有志の総意」を示すことで、システムはそれを「正当な閣議決定」と誤認し、非認可作物の栽培ログを自動でマスクしてくれる。
管理室の隅には、誰かが持ち込んだVHSテープが数本、埃をかぶって積まれている。大昔の農業マニュアルらしいが、もう再生できる機材もない。ただの置物だ。俺たちのやっていることも、あのテープと大差ないのかもしれない。意味があるようで、どこにも繋がっていない。
『こんな茶番、いつまで続けるんだ』と親父が呆れたように言う。
「いいだろ、別に。みんなの楽しみなんだから」
俺は淡々と投票用のハッシュを生成し、田中に送信した。すぐに他のスタッフからも、党ドクトリンの署名を偽造した承認データがチェーンに書き込まれていく。
全会一致の「可決」。これで、俺たちのトマトは公式記録に残ることなく、収穫できる。
しばらくして、田中が採れたてのトマトと、例のどんぶりに入ったナポリタンを持って戻ってきた。インスタントの麺に、ケチャップで和えただけのトマトを乗せた、B級グルメ以下の代物だ。
「ほら、食ってみろよ。やっぱり本物のトマトは味が違う」
そう言って渡されたナポリタンを、俺は無言でフォークに絡めた。味は、まあ、そんなものだ。だが、この共犯関係の味がする。
その時、手元の個人端末が静かに振動した。
ディスプレイには、見慣れない、しかし誰もが知っている定型文が表示されていた。
『通達:第0x31E0B内閣ユニットの内閣総リ大臣に任命されました。任期はこれより5分間です』
俺は、目の前のどんぶりと、端末の画面を見比べた。本物の権限が、今、この手の中にある。このトマトを、この農場を、この慣習を、正式に承認する差分リクエストだって作れる。この茶番を、公式なものに書き換えることだって。
『どうする、祐樹。千載一遇のチャンスじゃないか』
親父が興奮気味に囁く。
俺は端末の画面をスワイプして消すと、フォークを口に運んだ。
「なあ田中。そのどんぶり、もう一個当てる方法とかないのか?」
「ああ? あるわけないだろ。だから価値があんだよ」
田中はそう言って、うまそうにナポリタンをすすった。その横顔を見ながら、俺はただ、残りの麺を黙々と食べた。本物の権限なんて、このナポリタンの味に比べれば、きっと大したものじゃない。