使い捨ての光、巻き戻せない午後
──平成0x29A年 日時不明
荷台の固定バンドを締め直したとき、左の首筋にぺたりと冷たいものが触れた。ナノ医療パッチが剥がれかけている。
「また浮いてるよ、裕也。汗で粘着が死んでんだ」
イヤホンの奥で、叔父の声がした。叔父の——正確には、三年前に肝臓を壊して死んだ叔父・原田修三の人格エージェントが、いつものぶっきらぼうな口調で言う。
「わかってる。配達終わったら貼り直す」
俺は原田裕也、二十六歳。第十一地区の生活物資配達センターに勤めて四年目になる。今日の積み荷は七十二件。冷蔵コンテナ二基と、常温の段ボールが山。軽トラのエンジンをかけると、ダッシュボードに置いた使い捨てカメラがカタカタ揺れた。
これは趣味だ。配達先の風景を撮る。フィルムを現像に出すと二週間かかるが、その二週間が好きだった。何が写っているかわからない時間。
最初の配達先は桜ヶ丘三丁目の集合住宅。ここへ向かう県道は先月から自律型バスの専用レーンが増設されて、片側が潰れている。バスは十五分間隔で無人のまま走っていて、乗客はだいたい二、三人。窓の向こうにぼんやりと人影が見えるだけだ。
バスの車体広告には「iモードで届く、あなたの健康。」と書いてあった。その隣にサブスク型の音楽配信サービスのステッカーが貼ってある。見るたびに頭がくらくらする組み合わせだが、誰も気にしていない。俺も気にしない。
「裕也、十四番の荷物、温度ログ飛んでるぞ」
叔父が言った。冷蔵コンテナの管理画面を腰のガラケーで開く。iモード風のUIがもたつきながら表示される。十四番——桜ヶ丘三丁目八号棟の宛先。冷蔵ナノ医療パッチの定期配送だ。月に一度届くやつで、常温に晒すと効能が三割落ちる。
温度ログが、午前六時十二分から四十三分間にわたって途切れていた。
「コンテナの冷却ファン、また微妙に止まったか」
「先週も同じ症状出たろ。ベアリングだよベアリング。交換申請出したか」
「出した。承認待ち」
内閣ユニットの差分審査に回っている。ファン一個の交換に閣議決定がいるのかと思うが、制度上はそうなっている。先月、五分だけ内閣総理大臣になったとき、俺の前にも似たような申請が三件流れてきた。ボタンを押すだけだった。叔父のエージェントが「承認でいいだろ」と言い、俺は承認した。あの五分間で何が変わったのか、いまだにわからない。
桜ヶ丘に着いた。八号棟のインターホンを押すと、受取人の声がした。七十代くらいの女性。パッチの箱を手渡すとき、温度ログの欠損を正直に伝えた。
「効き目、少し落ちてるかもしれません。再配送の申請も出せますが——」
「いいのよ。貼れれば」
女性は箱を受け取り、ドアを閉めた。
軽トラに戻ると、助手席にカセットテープが転がっていた。さっき積み荷を整理したときに段ボールの隙間から落ちたやつだ。宛先不明の荷物に紛れ込んでいた。ラベルには手書きで「お父さんへ」とだけ。
叔父が黙った。
俺は使い捨てカメラを手に取って、そのテープを撮った。ファインダー越しに見ると、磁気テープの茶色が午後の光を吸い込んでいる。
「叔父さん」
「なんだ」
「——俺さ、この仕事続けてるの、届けるのが好きだからじゃないんだ」
自律型バスが県道を音もなく通り過ぎた。
「叔父さんが配達やってたころの話、もっと聞きたいだけなんだ。運転してるとき、叔父さんよく喋るから」
長い沈黙。
イヤホンの奥で、咳払いみたいなノイズがした。叔父のエージェントが照れるときの癖だ。生前と同じだった。
「……次、十五番。左折な」
俺はギアを入れた。首筋のパッチを指で押さえ直して、走り出した。