青い光の残響、あるいは一・五ボルトの救済
──平成0x29A年07月24日 14:30
平成0x29A年07月24日、14時30分。
モニター越しに見る旧多摩ニュータウンの陽炎は、解像度が低いせいでドロドロに溶けて見えた。
「翔、左だ。風を読め。平成の夏は、今の夏より少しだけ湿気が重い設定なんだよ」
スピーカーから、父さんの声が響く。桐谷健二。享年54。生前は10トントラックを転がしていた男は、今や私のドローン操作を補佐する人格エージェントだ。
「わかってるよ。でもこの機体、また挙動がおかしい。党ドクトリンの更新があったからか?」
「ああ。第0x55C内閣ユニットが『配送の情緒的安定』とかいう差分を承認しやがった。おかげでドローンの制御アルゴリズムに、わざわざ『手ブレ』を模したノイズが混ざってやがる」
私は舌打ちしながら、手元の古いコントローラーを握り直した。ドローンが運んでいるのは、平成初期の傑作ハード『PS2』の復元モデルだ。誰かが当時の記憶をエミュレートするために注文したのだろう。
「クソ、バッテリーが持たない」
警告灯が赤く点滅する。ドローンの自律飛行用メインバッテリーが急激に減衰していた。街角にある『共有型バッテリー』のポートに緊急着陸を試みるが、ポートの液晶画面には「党ドクトリン署名エラー:認証アルゴリズム解読中」という無情な文字。誰かが裏でシステムの脆弱性を突こうとしているせいで、公共インフラが一時的にロックされているのだ。
「父さん、どうする。このままだと高度を失う。荷物が壊れたら給料が飛ぶ」
「落ち着け、翔。足元の緊急用コンパートメントを開けろ。そこに『平成の遺産』があるはずだ」
私は指示通り、操縦席の隅にあるハッチを蹴り開けた。そこには、液漏れしかけたものから新品同様のものまで、無数の乾電池の山が転がっていた。この時代のドローンは、ドクトリン上の「緊急時冗長性確保」の規定により、なぜか単三乾電池での駆動をサポートしていなければならないのだ。あまりにも非効率で滑稽な、平成エミュレートの歪みだ。
「これを……この山から生きてるやつを探せって?」
「テスターを使え。一・五ボルトの可能性を信じろ。俺たちの血には、この国の薄い遺伝子ネットワークが流れてる。根性で引き当てるんだよ」
私は必死に、乾電池の山をかき分けた。指先に触れる冷たい金属の感触。その中から、かろうじて電圧の残っている四本を選び出し、補助電源スロットに叩き込む。ドローンのプロペラが、悲鳴のような音を立てて再始動した。
「浮いた……!」
「よし、そのまま届けちまえ。宛先はすぐそこだ」
高度三メートル。ドローンは不安定に揺れながら、古い団地のベランダへ滑り込んだ。受取人の少年が、窓を開けて待っていた。彼は私のドローンが運んできた青い箱――PS2を抱きかかえると、モニター越しにこちらを見て、はにかむように笑った。
「ありがとう、お兄ちゃん。これでパパと遊べる」
通信が切れる直前、少年の背後に、半透明なエージェントらしき男性の姿が見えた。彼もまた、父親の人格を移植されているのだろう。二人が古いゲーム機を囲んで、これから何百時間もの「平成」を共有するのだと思うと、胸の奥が少しだけ熱くなった。
「……まあ、悪くない仕事だな」
私は乾電池の山を片付けながら、独りごちた。
「ああ。ガソリンの匂いはしねえが、届ける喜びは変わらねえよ」
父さんの声も、心なしか優しく響いた。
モニターの隅で、また別の内閣ユニットから「夕立の再現率向上」に関する審議リクエストが届いた。私はそれを黙って承認リストへ放り込み、次の荷物へとドローンを向けた。1.5ボルトの小さな救済が、まだ私の手の中に残っていた。