巻き戻しの音、点検票の余白
──平成0x29A年 日時不明
俺の仕事は、第25記録保存ブロックの物理メディア点検だ。
今日も地下三階の保管庫で、VHSテープの磁気劣化チェックをやっている。テープを専用デッキに差し込んで、巻き戻しながら波形を見る。異常があればホログラム掲示板に報告を上げ、3Dプリント部品で補修パーツを発注する。単純だが、神経を使う。
「お兄ちゃん、また昼飯抜いてるでしょ」
イヤホンから妹の声が飛んでくる。楓は享年19、交通事故で死んだ。生前は栄養士志望で、俺の食生活にうるさかった。死んでからも変わらない。
「あとで食う」
「嘘。絶対忘れる」
楓の言う通りだ。俺はポケットから、インスタントラーメンの景品でもらったミニ時計を取り出す。アナログ針が午後二時を指している。ラーメンは三個買ったら一個ついてきた。パッケージには「平成の味、復刻版」とあった。時計の裏には「1998年製デザイン」のシールが貼ってある。
「じゃあ三時に食う」
「ちゃんと食べてよ」
そう言いながら、楓の声が少し遠のく。エージェントの応答遅延だ。最近多い。倫理検査が近いのかもしれない。
VHSテープを次々チェックしていると、一本だけ妙なものが混ざっていた。ラベルに「第0x4F2A1内閣ユニット/差分リクエスト記録/承認待ち」とある。なんでこんなものが物理メディアで残ってるんだ。
デッキに入れると、画面にノイズ混じりの文字列が流れる。政策変更リクエストの束だ。どれも数百年前のもので、署名欄が空白のまま凍結されている。承認も非承認もされず、ただ記録だけが残された。
「楓、これ見てくれ」
返事がない。
「楓?」
まだ沈黙が続く。エージェントが落ちたのか。それとも——
俺は端末を開く。通知が一つ。
『あなたは第0x6D89F内閣ユニットの内閣総理大臣に任命されました。任期:5分間』
またか。三ヶ月前にも一度回ってきた。あの時は何も来なかったが、今回は違う。画面に差分リクエストが一件表示される。
『第25記録保存ブロック/物理メディア廃棄計画/承認を求む』
俺が今いる、この保管庫を潰す計画だ。理由は「維持コスト過大」。確かに、誰も見ないテープを何百万本も保管している。でも、さっきのVHSみたいに、誰も知らない記録がまだ眠っている。
楓の声が戻ってきた。
「ごめん、ちょっと回線が……お兄ちゃん、また総理?」
「ああ」
「で、何が来たの」
「ここを潰す計画」
楓は少し黙った。それから、ぽつりと言う。
「お兄ちゃん、私のこと覚えてる?」
「当たり前だろ」
「でも、もし私の記録が消えたら?」
俺は答えられなかった。エージェントのバックアップは中央システムにあるはずだが、どこまで遡れるかは誰も知らない。
画面を見る。署名欄が点滅している。承認するか、非承認にするか。党ドクトリンのアルゴリズムは「承認推奨」と出ている。でも、俺の手元には解読済みの党アルゴリズム表がある。誰でも使える。
俺は非承認のボタンを押した。署名を偽造して、党ドクトリンの形式を満たす。簡単だ。
「これでいい」
「お兄ちゃん……」
その時、保管庫の奥で音がした。自動巻き戻し装置が動いている。何百本ものテープが、ゆっくりと巻き戻されていく。カタカタと、規則正しい音。
俺はミニ時計を見た。三時を少し過ぎていた。
「飯、食うか」
「うん」
楓の声は、いつもより少しだけ近く聞こえた気がした。