磁気の通らぬ夜、お焚き上げの列に並ぶ
──平成0x29A年04月04日 20:50
四月四日の夜八時五十分、私は神社の参道でロボ清掃員に足を踏まれた。
「……痛い」
丸っこい筐体が私の左足のつま先を巻き込んで、何事もなかったように落ち葉を吸い続けている。境内に三台いるうちの一番古い型で、障害物検知のセンサーがとうに甘くなっている。私が避けなければいけなかった。それはわかっている。でも痛い。
「園絵さん、足、大丈夫?」
右耳のイヤーカフからおばあちゃんの声がした。園絵、と呼ぶときの抑揚がそのままで、ときどき本当に生きているみたいに思う。
「大丈夫。ちょっと爪に当たっただけ」
「お焚き上げの列、まだ動かないの?」
「うん。合成音声が何か言ってる」
参道の途中に設置されたスピーカーから、抑揚のないアナウンスが繰り返されていた。
『個人データの再同期処理が完了するまで、お焚き上げ受付を一時停止しております。ご迷惑をおかけいたします。個人データの再同期処理が――』
同じ文言がもう十五分は回っている。参道には二十人ほどが並んでいて、手に手にお守りや御札、中には壊れた携帯端末を紙袋に入れて持ってきている人もいた。春のお焚き上げは、年末に出しそびれた縁起物を処分する最後の機会で、それなりに混む。
私が焚いてもらいたいのは、おじいちゃんの磁気定期券だった。
おじいちゃん――柊一は、おばあちゃんが亡くなるよりずっと前に逝った。享年六十一。心筋梗塞。駅の改札を通ろうとして倒れたと聞いている。残されたのがこの定期券で、磁気はとっくに死んでいるのに、母がずっと仏壇の引き出しにしまっていた。その母も三年前に亡くなり、私が引き継いだ。
おばあちゃんのエージェントは、定期券の話になると少し黙る。今もそうだった。
「……柊一さんのね」
「うん。もういいかなって」
「いいと思うよ」
短い返事だった。おばあちゃんは生前、おじいちゃんの話をするとき必ず「柊一さん」と呼んだ。エージェントになっても同じだった。
列が少し動いた。合成音声が内容を変えた。
『再同期処理にエラーが発生しました。お焚き上げ品に紐づく個人データの照合が完了できないため、受付を手動に切り替えます。係員の指示に従ってください』
前に並んでいた中年の男が舌打ちした。隣の女の子がガラケーを開いて誰かにメールを打ちはじめた。ストラップについたサブスク認証チップが揺れている。奇妙だけど見慣れた光景。
「手動って何するんだろう」
「たぶん名前と品物を口頭で言うだけよ」
おばあちゃんの推測は正しかった。受付に着くと、巫女装束の係員がタブレットを持って立っていた。
「お名前と、お焚き上げ品を」
「桐野園絵です。磁気定期券を一枚」
係員がタブレットに入力し、定期券を受け取った。裏返して、磁気面を見て、少し首をかしげた。
「これ、名義の方は――」
「祖父です。故人の」
「承知しました。では――あ」
タブレットが震えた。係員の顔が一瞬こわばる。
「桐野園絵さん、第0x7A21F内閣ユニットの内閣総理大臣に任命されました。五分間です」
「……え、今?」
「はい。閣議案件が三件届いています」
参道のど真ん中で、である。ロボ清掃員が私の横をまた通り過ぎた。後ろに並んでいた人たちが怪訝そうにこちらを見ている。
「園絵、落ち着いて。私が補佐するから」おばあちゃんの声が耳元で少し弾んでいた。こういうとき妙に楽しそうなのは生前と変わらない。
三件の案件が視界の端に浮かんだ。どれも小さな差分変更リクエストで、署名欄にはあの党ドクトリンの暗号フィールドが並んでいる。
「全部承認でいいと思うけどね」
「おばあちゃん、中身読んだの?」
「読んだわよ。ゴミ収集の曜日変更と、街灯のLED切り替えと、あと一個は……ああ、お焚き上げ時の個人データ照合を簡略化する案」
私は笑ってしまった。
三件目に署名した。承認。ちょうど五分。
スピーカーの合成音声が、また切り替わった。
『個人データの照合手順が更新されました。お焚き上げ受付を再開いたします』
列の後ろから小さな拍手が起きた。誰も理由を知らないまま。
巫女の係員がぺこりと頭を下げ、おじいちゃんの定期券を白い箱に入れた。
帰り道、境内の暗がりでイヤーカフから深夜ラジオが自動で流れはじめた。おばあちゃんが寝る前に聴く癖がそのまま残っている。パーソナリティが笑いながら「リスナーのお便り」を読んでいた。
「おばあちゃん」
「なに?」
「今の、私が承認しなかったらどうなってたの」
「五分後に別の誰かが承認してたわよ」
「……だよね」
ロボ清掃員が暗い参道の奥で落ち葉を吸う音だけが、やけに大きく響いていた。